フィジー自然体験実習報告2004


調査地域図…Viti Levu島西部

*成田集合・出発

第1日 8/28

 12時に大学に星野さんがお父さんの車で来てくれる。荷物の積み込み。大島君と渡辺君が運んでくれる。業務用カメラと三脚、太陽電池、シールドバッテリー、測定機器類、文具、消耗品、いろいろ。昨年よりは少なくなったが、やはり量が多く、車を出してもらって助かった。地図のコピー、全域図1:20000を50枚×1、部分図1:10000を30枚×3。たぶん足りるだろう。

*成田

 駅までの道は雨。台風の影響か。大井町経由で14:50品川発の成田エクスプレスに乗車。そこで布浦さん、大島君に出会う。16:30集合というと、30分前に到着するこの電車を使う人が多いのかな。横浜発と新宿発の連結なので、たぶん他にも学生がけっこう乗車しているだろう。

 15:55空港第2ビル到着。16:30過ぎ、全員集合。注意事項と18:20ゲート前の集合確認をして、すぐ搭乗手続き。17:05完了。集合まで自由行動。僕は例によって電源プラグアダプタと三つ又を買う。10組で\5040。

 岩松君からのメールを読み、返事を書いて、送信し、webも更新していざ出発。ウイングの中野さんに出発報告の電話。

*FJ303

 珍しくほぼ定刻の出発。成田の夜景を見ながら急角度で上昇。雲高は3000mほどか。水平飛行に入ってから数回大きく揺れる。台風の影響だろうか。それでもうまく台風の到来前に出国できて良かった。

 機内では5列目、9,10列目、23,24,25列目と、なぜか引率者の勝木、皆川、佐藤の3先生が33,34,35列に縦に並ぶ配置。昨年のように固まっていないので、入国書類の記入指導に寺阪さんが駆け回る羽目になる。機内食はチキンカレーとウナギ散らし弁当だという。機内でウナギが出るというのは僕にとって初めてだが、果たして。

 選んだ人の感想は、「まあこんなものかな」ということであった。

 満席なので、席を移動するわけにもいかず、けっこうつらい。早いところ酔っぱらって寝るに限る。


第2日 8/29

 1:45、機内アナウンスにたたき起こされる。現地時間は3時間進んで4:45、到着まで1:45だという。6:30到着なら順調な方だろう。僕にとっては12回目のフィジー。今回の実習最終日でちょうど通算滞在100日目を迎える。あまり感慨もわかないのだが、初めての海外旅行の学生にとっては、きっと目新しいことがいっぱいのはずだ。最初が満席でこの状況だときついと思うのだが、たいして苦にならないかな。

 5:50 水平線上が明るくなり始める。進行方向の左側が東。冬なのでやはり日が昇るのが遅い。曇り。前線が停滞しているのか。しかし雲は薄い。これならあまり降られることもあるまい、と少し安心する。

 6:40 Nadi(ナンディ)空港着。入国審査をさっさと抜けて荷物受け取りに。満席で荷物も多いためか、コンベアーからスーツケースがあふれて洪水を起こしている。全員そろったところで何人かずつ税関を通過。段ボール箱はどうも目立つのでダメらしい。Not Declareに行ったら申告しろと回される。なんだかんだと説明するのは面倒だったので、段ボール箱を開けて、これは個人用のPC、これは接続コネクタ、と説明を始めたら納得。おばさん簡単にOKを出してくれる。

 空港では金瀬さん、Apisaiさんと、UTCの野田さん、Azimさんらが出迎え。大島君たちは金瀬さんと1年ぶりの対面。金瀬さんによるとこの時期には珍しく1週間雨が続いていたとのこと。現地のぬかるみがひどくなっているので、調査ルートの検討を現地でイノケさんと打ち合わせるようにアドバイスされる。

 手数料無料の両替窓口が開いているので、そこで各自の両替を済ませる。手数料がないとはいえ、レートはあまり良くない。手数料はレートに含まれていないかと勘ぐる。1万円が148$。僕は自分の口座からクレジットカードで引き落とし。1000$。1日に引き落とせる上限が1000$なので、もう1,2回引き落とさないといけない。全員の食費・消耗品費を預かっているので、フィジードルに替えておかないと市場で使えない。

 バスに荷物を運び、移動。途中Nadiの市街でスーパーマーケットに寄り、最低限の食材を確保する。食材係とアシスタントのはずが、全員バスから降りて見に行ってしまい、バスには僕と寺阪さんと運転手だけが残される。運転手はガリマーレの上流の地方出身だと言うことで、パンフレットの地図を見ながら盛り上がる。観光客が増えた話。フィジーに来る日本人と韓国人はいいのだが、98年頃から中国マフィアが進出してきて、殺人事件などを起こして困るのだという話。

 食材を購入した一行が1時間後に帰投。勝木先生、ぬかりなくFiji Bitter24本確保。全部で34.5$と非常に安かったらしい。コメは新宅さんが節約して安いインディカ米を買ったという。10kgで8$くらい。500円ちょっと。死ぬほど安い。Japonika米はオーストラリア産のSun Whiteという銘柄で、10kgで10$くらいらしい。卵、缶詰め類、野菜、皿や包丁も確保。足らないものは明日買い足す。

 昨年マングローブを植えたコロトンゴ村を通過し、クロウズネストへ。10:30荷物を降ろすが、部屋ができていないということで、会議室だったところに荷物を置く。待っている間に多くの学生は前の海に出て、引き潮のラグーンで磯遊び。サンゴの破片の粗い砂、あまりきれいな印象は受けないが、海岸生物は多い。まず3部屋、そして2部屋と準備ができたところから学生を詰め込む。待っている間に近所のピザハウスに昼食に行ったのが9名。自炊して食事を作った部屋が3つ。最後の2部屋は5時間後にしびれを切らして確認に行き、掃除できてるじゃねえかと文句を言いにいって、やっと入れてもらい、ほっと一息。USP軍団到着。スーザン先生とソフィーに挨拶。

 夕食まで昼寝。やはりみんな疲れている。19時に各班連絡係集合。明日の説明と指示。その後宿のレストランで夕食。高くなっていて味は落ちている。がっかり。アシスタント集合で役割分担を決め、若干の仕事をして、22時には僕は寝る。大島君はずっと勉強していたらしく、午前3時に気づいたら机に突っ伏して寝ていた。

 宿の石けんが小さなものになっていて、まともな石けんが欲しいという学生。また夜にお湯が出ないと女子学生から苦情。使い方をわかっていない気がする。100V電源の問題も。注意したのに聞いていないからだ。ぶつぶつ。

 スルの出来は上々。代金を払った人に配布。スーザン先生が油絵の行商?に来る。スーザン先生の9匹の猫の話。


第3日 8/30

 朝6:20起床。ごそごそ整理し、お茶を飲み、風呂に入り、記録整理。7:00頃みんな起き出す。佐藤先生の料理、勝木先生のにぎりめしで朝飯。おにぎりを一人2個持参で昼食の用意。学生が起きているのを大島君が確認に行く。今日は大丈夫のようだ。外は小雨。でも今日はセブセブなので、行かないことには話にならない。決行。

 8:30に来るはずのバスがなかなか来ない。小雨が降っていたので中止と勝手に決め込んでいたのか。9:00頃にようやく到着。けっこうなぼろいバスで、ドアが閉まらず、騒音が大きい。馬力もないようだ。シンガトカの街でいったん買い物をしてからコロニサガナ村へ行く。

*コロニサガナ村

 途中のお店のところで4駆のトラックでイノケさんが出迎え。例によってまずはシンガトカ川北岸のコロニサガナ村でセブセブ。バスで村の中につっこむ。こどもたちが寄ってくる。約40人の一行が村の集会場に入り、儀式を行う。1杯だけのはずが2杯、3杯、4杯…。前列の引率者は5杯ずつ飲むことになる。

 ウイングの用意してくれたセブセブ用のヤンゴーナをつぶして、新たなカヴァをつくる。その合間にイノケさん、スーザン先生と地質の話。明日以降の実習予定の話。岩場をルートから外す。渡河をしない。裏道で現場に通うことなど申し合わせ。明日はできればイノケさんが宿に下りてきて、道のチェックと先導をしてくれるという話になる。

 伝統の太鼓の実演。山々に木をくりぬいたドラムの音がこだまする。女子学生数人がトイレを借りる。こどもたちが寄ってきて、某学生から「アイーン」と「ゲッツ」のポーズを教わってしまう。思想汚染だ。

*午後:

 晴れ間は覗くが、雨が降ったりやんだりの天気。シンガトカ川も増水気味で、船での移動は危険だろうというイノケさんのアドバイスで本日の河原の実習は中止。まずは村を出ないといけない。途中の店のところに移動し、昼食と地図読みの実習。現在地点探し。GPSの較正。

 男子学生が十数人、道端の連れションに。これも実習項目か。女子学生は店のトイレを借りる。水が少ないので流さないようにという指示。雨は多いが乾季ならではの注意か。

 1時間ほどで終了。途中弱いシャワーを2回浴びる。シンガトカの街に移動する途中でパンク修理が1回。バスの馬力が足りず、登り坂で徐行するため、思ったより時間がかかる。15:25シンガトカ着。バスストップでバスを止め、買い出しにいく。昨日の不足分、包丁や皿の買い足しもある。僕と寺阪さんを除き全員がバスを降りて散ってしまう。みんな元気だ。僕は現金の引き出し。1日1000ドルの引き落とし制限があるため、2日かけてようやく全員分の食費をフィジードルでそろえる。
 16:30までのはずが、買い出しに手間取り16:45。運転手がいらいらして、エンジンをかけ、ふかし、前に移動する。頼むよせっかちにならないでくれ。まあ、他のバスにそこは邪魔だとクラクションをならされたりはしているのだが。無線で買い出し隊と連絡つかず、ちょっと焦る。

 17:00クロウズネスト着。荷物を降ろし解散。

 自炊の夕食。教員グループは佐藤シェフ入魂のコンソメ味野菜煮込み。

 20:00 会議室で全員集合し、とりあえず自己紹介。椅子が足りず、チャージフリーになる。みんなそれなりに工夫している。しかし趣味がsleepingというのはいかがなものか。ホテル側が予定していたmekemekeはお流れ。水曜とのこと。夜間雨が続く。明日が心配。


第4日 8/31

 6:15に目が覚めると天気がよい。昨日までとはうってかわった好天。風は強いが日が差して、洗濯物を干すには良い天気だ。やはり行いがよいのか。

 証拠 クロウズネスト前

 8:30レセプション前集合。昨夜、寺阪さんからUTCにバスの馬力が足りないのと運転手の態度が悪いので代えて欲しいと依頼したのだが、昨年と同じバス、運転手が来る。確かになるべくボロのバスでお願いしますと言ったのは僕だが、"Nadro Stallion"は荒かった。態度が悪すぎた。仕方あるまい。

*タワタワンジ村へ

 多少前後するが、バスを待っているところへ、打ち合わせ通りイノケさんが4駆で現れる。村から下りてきて、途中の道を確認してくれて、またもう一度現場に戻るという。Apisaiさんが助手席に乗って現れたが、少しするとこんどはバスに乗ってApisaiさんが戻ってきた。途中で遅れてきたバスに出会い、そこで捕まえて乗り込んだということらしい。

 予定では道の状況をイノケさんが確認して、その上でバスにはSigatoka Valley Roadではなく対岸のBack Roadを進んでもらうはずで、そのように打ち合わせて、11時に到着しなければイノケさんが迎えに来るはずだったが、バスの運転手曰く、道が悪いからBack Roadは行けないという。行きがけにKhan'sの事務所の前に停車してManagerにApisaiさんが交渉しても、拒否された。仕方なく昨日の道を行き、なんとか渡河の方法を考えることにする。

 シンガトカの街で20分停車。ランチの購入に半数ほどの学生が向かう。そして出発。昨日と異なり、馬力があるので快調に飛ばす。日野自動車えらいぞ。約1時間たらずで集合地点の店の前に到着。そこで泥道を徒歩で移動し、昨年の渡河地点の河原に行く。10:30にまずは昨日の積み残し、河原で石を5個拾って地域の歴史を語る実習を始める。対岸には巨大なガリマーレ石灰岩の岩壁。昨日とはうってかわって好天。しかも雲があって日差しもきつくない。さわやかな風が通る。

 川はやはり増水していて、車で渡河するのは無理のようだ。村人は首まで水に浸かって川を渡り、あるいは馬で渡っているが、我々はそれをやる気はない。Apisaiさんはイノケさんを捜しに対岸に半分泳いで渡る。僕は学生が持ち込む石の説明で息をつく間もない忙しさ。きれいなめのうを拾ったり、土器片を拾ったり、珪化した珊瑚の化石を見つける学生もいて、発見が多い。11:50にいったん終了。2往復して戻ってきたApisaiさんが、イノケさんから上流側でボートで渡るよう指示を受けてくる。とりあえず昼食を済ませ、12:20に移動開始。まずは徒歩でバスのところに戻る、が、バスは15時にここで待てと指示したため、昼飯を食いにでも行ったのかいない。しかたなく女子学生のトイレを店に借り、2km先の渡河地点まで歩く覚悟を固め、歩き出す・・・ところへバスが戻ってきて事なきを得る。

 女子学生が2人、3人と戻ってくる。バスをバックで店の近くまで戻し、回収。昨年の渡河地点へ。やはり畑を抜ける道がぬかるみ、バスは進入を拒否。そこでまた泥道を歩く。晴れているので徐々に乾いてはいるが、ひどい道だ。

 ボートで対岸に渡る。6,7人ずつ乗って、渡し守のおじさんの操る竹竿で移動するが、流れがけっこう速い。水は汚くはないが、やはり続いた雨で増水しているようだ。

 シンガトカ川を渡る。

 河原で待っている間、ApisaiさんとUSPの学生たちが、ラグビーボールのキャッチボールを始める。さすが本場、さすがは元プロだけあって、肩が強いなあ、と感心する。

 上流側、ブナゴル、サウタブ方面

 畑の間を抜けてタワタワンジ村へ。この時点で13:30なので15時戻りとすると1時間半しかない。通常の調査をあきらめ、植生グループは村周辺の植物観察、測量グループは村の前の道路の簡単な測量、地質グループは村に集積し、事前に広げてもらったコアボックスのボーリングコアの観察をすることにする。時間がないというのはけっこうあわてるもので、急いでボーリングサイトの分布を地図に描き込み、説明し、コアの柱状図が示すことを概説し、コアの1シリーズを選んでその岩相変化や組織の移り変わり、岩相境界の記載を指示する。

 地質1,2班6名+USP4名、植生3,4班6名+USP3名、測量5,6班+USP3名で作業。また建築実習で星野・新宅が村の水源の見学に行く。Apisaiさんと村人が同行。あとで聞いた話では、5本の小さな滴るような水流をタンクに集め、そこから水道を引いているのだという。

 タワタワンジ村

 15時ちょうどに切り上げ、河原に移動し、順繰りにボートで渡河してバスへ移動。16時に再集合完了。出発。16:55シンガトカタウン着。17:15買い物終了。17:30クロウズネスト着。

 夕食をすませ、会議室へ。学生に会議室の前で南十字星を教える。ケンタウルス座αも教える。石のストーリーを各班単位で語ってもらう。


第5日 9/1

*自由行動−予備日

 8:10起床。今朝も晴れていい天気だが風が強い。ずるずると記録をつけたりしながら過ごす。スーザン先生が現れ、海岸実習の時間は干潮が13時なので12時から始めるとおっしゃる。丈夫な靴を用意しろ、海にずぶずぶ入るぞとの宣言。昨夜はSophieが14時からといったので、それに合わせてスケジュールを立てたのに。藤井さんから各部屋に変更を連絡。結局、カレブカルチャーセンター行き6人も、Nadiでの打ち合わせも14時出発に時間変更。

 10:00に海岸散策とクラエコパーク行きの十数人が出発。寺阪、大島、萩谷は残る。大島君は太陽電池のテストを始める。海岸の植物を観察した勝木先生らは11時過ぎに帰ってくる。

 昼食、佐藤先生のパスタを急いでいただく。12時からスーザン先生の海洋地質学講義だが、日本人学生の集まりが悪く、12:30出発。まずは高台から海を見渡し、珊瑚礁の断面図を描いてみせて、構造の説明。そして海岸を西に歩き、岩石を観察し、珊瑚の破片など浜辺の構成物を観察。海岸乞食。西の端、Sunset Stripの交差点の海岸護岸のところまで行き、かつて高波で道路に岩塊や海藻が打ち上げられ、通行困難になり、Queen's Roadが迂回路を使って海岸を避けるようになった話。

 海岸に露出する緑色の岩石について尋ねられ、緑廉石の結晶が空洞に出ることを昨年の寺阪さんの採集品で知っていたので、かなり変質した玄武岩ではないか、と返事した。その後でつぎつぎと緑廉石の結晶を見つける。USPの学生は緑廉石を知らなかったようで、epidoteの単語がわからず、しきりにolivineではないかという。組成や外形の違いを説明したが、なかなか納得しない。鉱物学の知識の不足というより、フィールドでの観察の不足が原因であるという気がする。あるいは教育体系の違いかもしれないが。Khasai先生にあとで聞いてみよう。全岩組成と鉱物組成の関係がイメージできるには、けっこう知識と訓練が必要なのかもしれない。

 海岸に落ちているサンゴの破片やウニの殻の一部、貝殻などを拾い、いろいろ学生が質問してくる。ウニが棘皮動物でヒトデと同じ5本足の構造を持っていることは、指摘するまで気づかない学生が多い。USPの学生が大きな有孔虫の殻を拾う。直径が1cm以上ある。学生に有孔虫の説明。穴があるから有孔虫で良かったのだろうか。皆川先生は見事な緑廉石の放射状の結晶が見える岩石を拾う。

 海岸を東に歩く。この海岸は潮流が東から西に流れ、干潮になるときはまるで川のように海水が西のKorotogo方面に向かって流れる。Korotogoは昨年マングローブの植林をした、近所の村だが、Koroは村、togoはマングローブを意味するのだとSusan先生が説明する。そういえばUSPには生物地理学でKorotogo出身の先生がいたはずだ。

 Korotogo村の語源の説明をするSusan先生。

 Casablancaホテル前を過ぎたあたりに、石灰岩の露頭があり、離水ノッチが見られる。この付近のこれら石灰岩をKorotogo石灰岩と呼び、おそらく3000年前〜5000年前の高海面期に形成された珊瑚礁だろうと説明される。ただしここの石灰岩の放射性炭素年代は18540年前と、氷期のど真ん中の値が報告されていて、どうもおかしい。貝殻1個で測っているので、何かおかしなことがあったのか、あるいは急速に隆起しているのか、そうだしても2万年足らずで100m隆起しなくてはいけないので、年間5mmという異常な速度になるし、それなら高海面期の珊瑚礁が30mくらいの丘の上にあってもおかしくないし、他の石灰岩の分布や年代値と合わない、と議論する。

 そこからじゃぶじゃぶと膝上までの海水をかき分け、沖の礁前面まで歩いていく。途中、生きている珊瑚を踏まないように注意される。水は温いのだが風が強く、濡れたところが寒い。東からの風は本当に強く、飛沫がかかるし、水面にさざ波が立って下が見えにくい。途中で様々な海藻や海草を見る。勝木先生の解説がある。

 リーフ前縁に到達。歩きにくかったラグーンと違い、平坦な礁原が広がり、その前縁に大きな波が打ち付けている。海草や珊瑚の観察。きちんと聞けなかったが、スーザン先生の解説ではハワイで見られる珊瑚だという小さな珊瑚を観察。石灰藻の解説。生きているハリメダは初めて見たかもしれない。緑色だったり、死んで白かったり。

 そこで記念撮影をし、僕と寺阪さん、大島さんはNadi方面で仕事をするため先に戻る。他は礁原を西に歩き、クロウズネスト正面からラグーンをつっきり、クロウズネストへ。ちょうど着替えて荷物をもってタクシーに乗り込むときに帰ってきたスーザン先生とあい、もう一度さよならをいって出発。スーザン先生は今夜泊まらずに帰るという。

 タクシーで1時間あまり、途中、トラックに乗用車が斜め正面衝突で一家四人即死の交通事故現場に遭遇し、運転手が野次馬に行ってしまい、予定よりかなり遅れてナンディのウイング事務所に行く。金瀬さんといくつか打ち合わせし、ウイングの電話回線とアカウントを借りてインターネットにつなぎ、メールの処理。48kbps出ている。ずいぶん速い。あとから遅れて合流する3人の学生にメールを打つ。集合場所の確認、手順の説明と、金田さんには忘れ物を持ってきてもらうよう、お願い。webの記録をアップ。読んでくれている人はどのくらいいるのだろうか。今回はネットにつなぐタイミングが限られているので、頻繁には更新できない。

 18:00にナンディの事務所を出てクロウズネストに戻る。金瀬さんがカタちゃんがよく使うという、よく知っているタクシー運転手を呼んでくれる。おかげで安心して帰れた。19:15着。途中、夜空がきれいで見とれる。天の川がよく見える。無線で宿を呼ぶが、Korotogo村の前にかかるまで結局通じず。見通しが利かないと基本的にUVHFの無線はダメのようだ。

 教員部屋に来ていた学生たちにもせっつかれ、星空ソフト(ステラナビゲーター)を起動したパソコンを持って海岸へ。日本からは見ることのできない南天の夜空を堪能する。射手座が正面にあり、あれが銀河系の中心方向だと説明。3月はマゼラン雲が見えたのだが、いまは地球の反対方向(太陽側)で見えない。その代わりさそり座ははっきり見える。七夕のベガとアルタイルを北天に見つける。はくちょう座のデネブもぎりぎり確認。学生は自分の星座を探したがる。魚座、水瓶座、山羊座、射手座、乙女座、天秤座あたりは確認できる。途中、流れ星を見る。2度か3度あったようで、学生が歓声を上げる。願い事を3回いうのはなかなかつらい。可能なのは「金金金」くらいか。「金地位権力」は3回は言えないだろう。「世界征服」を3回言うのは絶対無理だ。


第6日 9/2

 朝7:30、皆川先生が帰国のため空港へ。お疲れさまでした。

 調査再開。本日も良い天気で、朝日が差し込む。昨日、海水でずぶぬれの靴はそこそこ乾いている。今日は川を歩くので、塩気を抜くにはちょうどいいだろう。8:30出発、シンガトカで15分停車、それからタワタワンジ対岸まで1時間たらず。10:25頃到着。ボートで渡河し、植生と地質の学生はイノケさんの4駆で途中のコンクリート橋までピストン輸送、佐藤先生の測量は村から道路沿いに測量開始。

*実習

 11:00、まずは地図で現在位置の確認。1万図の道路位置はあてにならないので、川の流れや山からの位置関係で自分の位置を探す。USPの学生は地形図の読み方ができていない。それは日本人学生も同じなのだが、なぜか日本人学生の方が飲み込みが早い。しかし僕がよく間違えるように、太陽の位置から北と南を反対に勘違いする学生もいて面白い。ここは南半球なのだ。

 すでに先に行った植生グループを追いかけるように、川沿いに進む。最初の小川を横断するところは、飛び石づたいというわけにも行かず、じゃぶじゃぶと膝下までぬらしながらわたる。これで昨日海水に浸かった靴のすすぎ完了。南に進み、河原で転石の観察。安山岩が多いが、角張った石灰岩、あるいは火山性物質の多い砂岩の礫がある。このあたりではあまり見ない、緑色に変質した火山岩もある。

 ガイドの村人についていくと、いつものルートで鍾乳洞に向かう。本当は川沿いに歩きたいのだが、先週までの雨で水量があるので、今回はやめておく。それでも最初の露頭には寄らないといけないので、どうするか考える。Sophieに昨年の記憶があるかと聞くと覚えていると言うが、さすがに場所はわからないようだ。たぶん鍾乳洞の東、少し下流側だったと思い、とりあえず鍾乳洞で説明。地形学の学生がwatertableだなんだといろいろ英語で言ってくるが、そっちの用語はわからず、適当に話を聞いて、地理学はわからなくてごめんねで済ます。小さな鍾乳石があり、学生が写真を撮る。日本にはあちこちに大きな鍾乳洞があるのだ、とUSPの学生と話していると、日本とフィジーの鍾乳洞の違いは何が原因だ、となかなか良いところをついてくる。石灰岩の規模の話はせず、フィジーの若い石灰岩の亀裂の多さ、一方で日本の石灰岩は古生代のものが多く、よく再結晶しているなどの理由で、岩体にひびが入りにくく、それゆえに水の通り道が限られ、大きな空洞ができるのではないか、と話す。

 鍾乳洞で一休みしてから、勘を頼りに昨年の露頭を探す。バナナ畑を抜けて蛇行する川の西側に向かう。すぐ川岸に昨年観察した露頭を発見するが、昨年は水がなかったのに今年は水があって、露頭の下2/3が水の中になってしまってよく見えない。一人で腰まで水に浸かりながら対岸に渡り、説明し、サンプルをとるが、あまりよくわからない。USPの学生には現世堆積物ではないかと質問されるが、いたしかたない。現世でないことは、含まれる礫の種類を見ればすぐわかる。石灰岩が含まれていない。明日僕たちに ついてくればQDH17に向かう途中の北斜面ではっきりした露頭があるから、それをみて判断できる、と話す。

 大小様々の角礫を含む、マトリックスの多い堆積物の由来と堆積条件を考えさせ、ある程度拾い面積の陸域と火山活動を想像させる。そこから上位の礁成石灰岩の浅海環境、さらに上位の砂泥互層が示す陸棚〜半深海?環境への変遷はどういう種類の変化か考えてもらう。また、過去の大雨・土石流・岩屑流・斜面崩壊・山体崩壊というような大災害のイメージを想起してもらう。考えてみると伊豆大島のカルデラ形成時の土石流堆積物もこんなに厚くはないわけで、質的に異なる現象なのかな、と考える。

 石を割ったりしてからそこを離れ、丘への登り口に入る。登る道に露出した地層が見やすかったので、個々で説明すればよかったと後悔するが、まあとりあえず補足する。小屋を過ぎ、山の登り口で角礫化した石灰岩の転石を前に講義。登りで植生グループを追い越し、尾根へ。昼食。地図で位置確認をさせ、GPSの位置登録を指示する。

 石灰岩が転石で露出する尾根から見た風景。森林は石灰岩の分布と重なる。

 石灰質角礫岩と、昨日見た礁前縁の様子とを比較し、イメージさせる。安山岩礫の入ったところを探させる。一部は尾根を登るが、帰りは植生と地質の学生を入れ替えて移動のため、時間がなく、すぐに移動。帰路は同じ道だが、地層の傾斜の方向と角度が大きく変わっているのを確認させ、地質構造を考えさせる。川向こうの露頭は省略し、登り口で説明。14:30橋に到着。イノケさんの4駆が待っている。建築実習の2人の水源と水道の調査につきあってもらったが、できることは全部やったから彼女らは満足したに違いない、とおっしゃる。面倒をかけてしまったかな、とちょっと心配。

 ボートで渡河し、バスへ戻る。シンガトカで40分停車。最後のまとまった食材確保と、村へ持っていく食料や塩、油などの調達。17:40宿帰着。すぐに夕食の支度。20時から最後のプレゼンテーション。

 20:30プレゼン開始。今日見たものについて、観察事項と考察を英語で話す。メモをつくってきた学生が多い。読み上げるのではなく聴衆に向かって話すのだ、と2回注意。写真や動画を使ってプロジェクターで投影したり、ホワイトボードに描き込んだりして解説。測量は今日までの測量図を直接壁に貼る。ホワイトボード用のマーカーがなく、仕方なくレセプションで借りたマジックを使ったところ、消すのに苦労する。USP学生も、図を使いたいというのでデジカメで本の図を撮り、投影する。

 集計したGPSデータを表示する勝木先生

 明日で最後なので、一応ご挨拶。Sophieからもお礼の言葉。22:20過ぎに解散。学生たちは適当に交流を楽しんだようだが、こちらは注文が多くて苦労する。とりあえず頼まれたCD-R焼き。明日14:30の特急バスでスバに帰りたいとSophieから言ってきたので相談するが、日程を合わせるのは難しいので、朝シンガトカで分かれるか、宿で分かれるか、どちらかを選ぶように電話で説明。


第7日 9/3

 8:00に金瀬さんから電話、いまナンディ空港から金田さんと津田さんが出るとのこと。シンガトカ集合に切り替え。8:30集合。USP学生の集まりが悪い。バスの前に集合し記念撮影。村に泊まる学生は寝袋の用意をしている。スル20枚と食料品も積み込む。シンガトカに移動し、ランチ購入で10分停車。MalaがUSP学生を代表して挨拶。そこでUSP学生はバスを降り、我々と別れる。金田さんと津田さんが全部の荷物を持って乗り込む。だいぶ空席の目立つバスでシンガトカバレーロードを走る。雨がやんで晴れが続いたためか、昨日よりも土埃がひどく、前の車の上げた土煙で前が見えにくい。10:40に渡河点横に到着。

*実習

 植生と地質は西側のトンガからQDH15,16,17方面に入る。予定よりだいぶ遅れ、まず植生グループが村の前から山の入り口のところまで4駆で輸送。その間に、村に泊まるために置いていく荷物をウイング事務所に置いたり、デポしてある水をもらってきたりと忙しく動く。藤井さんは今日もコア観察なので、村に居残り。建築組3人も村で住宅の調査。朝到着したばかりの津田さんは、植生・地質と同一行動で動くという。結局まったくダウンすることなく乗り切った体力はすごい。

 地質グループは戻ってきたイノケさんの車に乗車し移動。途中トンガ村前でガイドの村のおじさんとおにいさんを載せて、出発点に到着。11:40。このルートは距離的には短いので気楽だ。ただしピーカン晴れで日差しが強く、木陰のない斜面登り部分が心配。うまく雲が出てくれればいいが。

 キャッサバ畑の横を抜け、林をくぐり、クリークを越える。泥っぽい道は無数の馬の踏みあとがあり、ここ数日コアボックスを輸送していた名残だという。先頭に立ったおじさんには、オレは今日は8時からおまえたちを待っていたんだ、と文句を言いつつ登る。最初、何を言っているのかよくわからなかったが、大意はそういうことらしい。ふもとの林を抜けて、斜面の草地にはいるところで、先行する植生グループを追い抜く。斜面登りはあまり休まずに一気に登り、石灰岩の大きな転石が目立つ横歩きの道沿いの露頭で、特徴的な土石流?堆積物の観察。岩石の種類、形状、サイズ分布などを観察させる。ルーペで岩石の組織を確認。ところどころホースの切れ端が残る道を登り、石灰岩の沢を登る。少しゆっくりにして登るが、足場が滑るので注意が必要。いつもと違って途中から水が流れている。落石、転石で埋まった急傾斜部分では水が見えず、伏流になってまたどこかでわき出すようだ。

 河原で礫の観察。上流域にある岩石を読み、角張った落石の石灰岩との差を見る。熱水変質の碧玉をいくつか見る。砂岩、石灰質砂岩など。

 水のない枝沢に入り、QDH15のあとを見学。切り開いた森林が、早くも植生を回復している様子がわかる。ボーリング孔のあとが残っているので確認。ヘリでの機材輸送の話、適地を探すのにイノケさんが苦労した話など。枝沢をはさんで対岸の草の丘に登る。ここはQDH17で、ボーリング会社が放置した掘削機械がそのまま残っている。困ったものだ。でも、説明には都合がよい。草の丘が連なり、その上に澄んだ空が広がり、美しい風景。日が差して暑いが、草を揺らして登ってくる風が心地よい。12:50ここで昼食。植生グループと地質グループのメンバー交換。

 13:40?植生を学んでいたメンバーが上がってくるのを待ち、簡単に解説してすぐ丘を下りる。枝沢と本流の合流点まで歩き、そこの河原で学生たちの昼食。河原の石を使って周辺の地質と、基本的な層序の説明。下りるときはさっさと下りる。先ほどの土石流露頭で少し時間をとって説明し、陸から浅海、深海への層相変化をイメージさせる。さらに何枚もふもとから見える石灰岩の重なりの意味について、少し説明。14:50出発点の道へ出る。イノケさんは15時に来ると言っていたので、ここで休憩して待つ。最後尾についてくれていたおにいさんは、昨夜はカバで寝ていないんだ、といってごろっと木陰で寝る。基本的な体力が違う気がする。

 トンガ村入り口におじさんを降ろし、地質グループを回収した4駆はタワタワンジ村の事務所へ。ここで女子学生はトイレなど。イノケさんは20分後に出てくると無線で連絡のあった植生グループの回収のためにもう1往復。イノケさんは今日は忙しく、我々に同行できないのが残念とのこと。金曜はいろいろな支払いがあり、また我々の村宿泊のために様々な準備がいるとのこと。

 15:30、村に残る学生を置いて、徒歩で渡河点へ。いつものように船で渡るが、13人しかいないのですぐに終わる。シンガトカに10分停車して、小さな買い物の他、僕は不足分の現金を降ろして、宿へ。17:40着。今日は人数が少なく、部屋も3棟6部屋に減っているので、心なしか寂しい。


第8日 9/4

 朝7:25、大島君が迎えのタクシーに乗り、空港へ。一足先に帰国。

*Cuvu村+Sigatoka大砂丘他見学

 朝9:00にイノケさんの4駆が到着。村宿泊組が顔を白くし、草花の首輪をかけて帰投。ズブ村行きを先に村から連れてきたとのことで、建築組は急いで準備して出発。それでも9:50になる。シンガトカ大砂丘とタブニ砦組は後発。10:10頃、フィジアンリゾート前の停車場でツマさん(Manoaさん)と合流。ツマさんの案内でズブ村の集会場に。

 ツマさんとズブ村の集会場に。まずはセブセブ。今回はあらかじめカバの用意がしてあり、上座と下座の配置がよくわからずとまどう。一通り杯が回った後、自由に質問していい、というので、まずは簡単にツマさんから建物の概要を説明してもらった。学生たちは思い思いにカメラを持って各所の撮影をする。ぽつぽつと学生から出る質問を、僕が経由するのではなく直接ツマさんに英語で聞くように指示。それなりに伝わってはいるようだ。2人の女子学生<仁井田さんと伊藤さん>が年輩のおじさん(長老?)の隣に座り、いろいろインタビューしてメモに書き留めている。ご多分に漏れず「うちの村に嫁に来ないか」というお誘いを受けていたが。日本もフィジーも年輩の人の冗談は同じネタのようだ。

 途中、VitiLevu北岸のBaから来た観光客だというフィジアンの一団がどやどやと入ってくる。我々は遠慮しようかと思ったが、そのままでいいという。さっそく型どおりのセブセブが始まり、ぼんやりと見ていたら、なんと僕のところに杯が回ってくる。動揺して、器を取り落としそうになる。お相伴というやつか。それにしても杯の回りが早い。学生たちはあちこちで構造を見たり、写真を撮っているので、自然と僕のところに杯が集中する。利尿剤なんだがなあ。

 12時前すぎに見学を終了し、お礼を言って退出。退出の前にもう一度さよならの杯が回り、お腹はkavaでげっぽげっぽ。女の子たちのトイレを待って、それからNatadoraへ向かう。ツマさんは海岸沿いの道を行ってみる、といって先導。我々のチャーターしてもらったミニバスが後を追うが、途中道が悪く、立ち往生しかかって焦る。ビチレブ島西部のこのあたりは、どうやら石灰岩の分布があって、その部分が尾根になったなだらかな丘陵をつくっているようだ。意外に石灰岩の分布が多い。やはりこの地域は浅海になるとたちまち珊瑚礁が発達するという条件にあるということなのだろう。

 丘陵地帯

 Natadora Beachへ。サトウキビ鉄道の一部が観光路線になっていて、ちいさな停車場がある。線路を越えて海岸近くの道を行くと、なにやら村の人が集まっている一角があり、それがウイングで用意したバーベキュー場らしい。バスを適当なところに停めて、トイレ休憩。まずはここでもセブセブ。近くのSanasana村の人々に歓迎の儀式を受ける。木で組んだ日よけ棚の下で、カバの応酬をする。ウイング関係で話が出ているのか、事情をよくご存じのようだ。儀式が終わって、自由にしていいよ、といわれるが、村の人が座を動かないので出ていいものか自信がなくて、とまどう。

 砂浜に出て各自思い思いに散策。貝殻を拾ったり、スケッチしたり、砂州の先端に行ってみたり。石灰質の白い砂浜は確かに美しい。ここは毎週3回、ウイングが海岸清掃をしているところで、ゴミ一つない海岸はきれいだ。欧米人の観光客がちらほらいる。木陰の草地ではウイングのカタリーナさんがバーベキューの指揮を執って忙しく立ち働いている。

 ビチレブ島で最も美しいと言われるナタンドラ・ビーチ

 対岸に石灰岩の岩が露出している。その下部がえぐれるようにへこんでおり、ノッチだと判断できる。問題は現世のものか、それとも離水ノッチか。潮は満潮に近いはずで、2m近く高いへこみは、縄文海進時の高海面期の痕跡の可能性を疑わせる。

 食事ができたというので呼ばれ、ラムの骨付きのずいぶん高級な肉と、バターつきパン4枚、トマトとキュウリの昼食をいただく。おいしいが量が多くかなり腹にたまる。村人も一緒に食べるということのようだが、セブセブをやった男衆は食べずに座っているので気になる。

 昼食後、1人の学生が観光乗馬に5ドル払って砂浜を歩く。少し高い気がするが、これが相場らしい。2人の学生は村の子どもに誘われて馬に乗るが、あとで料金を請求されて少々もめる。結局寺阪さんが話をつける。

 16時前、ビーチを離れる。またまたさよならのカバをつきあう。今日何杯目かわからない。10杯を越えたところからわからなくなった。げぼげぼでバスに揺られ、クロウズネストへ。今夜が最終なので食材を買わずに帰る。


第9日 9/5

*マナ島移動

 朝の最後の食事は残り物で済ませる。佐藤先生が用意してくださる。食材の出入りが激しい。

 9:30集合、勝木先生の植物講義のあと、10:00出発のはずが、やはり出発準備に追われて、実際に出発したのは10:10になる。コロトンゴ村の前でマングローブについて10分の講義。昨年、我々が植えたヤエヤマヒルギを見て、それから川沿いの自然に成長したヤエヤマヒルギの群落を見る。

 シンガトカを抜け、デナラウに向かう。途中、Volivoli Caveのところで少し石灰岩と鍾乳洞、洞穴堆積物とクロコダイル、イグアナの化石の話をする。カリブ松の植林地の間を走る頃になると、ぐったり寝ている学生が多くなる。時間がなくて途中の街での買い物は断念。デナラウの売店で済ませてもらうことにする。

 11:40デナラウ着。金瀬さんが来てくれている。荷物を降ろし、集積して船を待つ。食材の残りや、特に必要のない機材は金瀬さんの車に積み込み、預かってもらう。日本食レストラン「大黒」に注文した弁当を運び、そのスペースに入れる。弁当はフィジーとは思えない和風の弁当で、学生がびっくりする。ご飯に梅干し、唐揚げ、肉じゃがなど。食べている間もなく乗船開始の指示。多くの学生が弁当を持ったまま乗船。僕はなんとか食べ終える。12:25出港。出港してすぐのマングローブ群落と泥と砂の海岸を材料に勝木先生と萩谷で講義。例によって屋上のスペースをほとんど我々だけで占め、真っ向から風を受けながら走る。学生は大喜びで、記念撮影大会。

 船は途中2ヶ所のリゾートに立ち寄り、いよいよマナ島へ舳先を向ける。学生にマナ島はどれだ、と聞く。島が多くて判断に苦しむようだ。今回、GPSを使った島の測量を予定しているので、全体の形を知ればすぐに推定できるようになるだろう。

 13:40マナ島到着。下りると昨年も案内してくださった石川さんと水崎さんが出迎えてくださる。石川さんの肩書きはGMからExecutive Drectorになったらしい。とりあえずママヌザレストランに移動し、水崎さんから諸注意。明日の珊瑚礁観察用に、防水の魚類識別シートを人数分いただく。あとで知ったのだが、売り物をいただいたようでたいへん恐縮する。10分で荷物を置いて再集合を指示。実際には預けた荷物の配達のことなどもあり、やはり集まりが悪く、15分後に集合完了。

 まず石川さんの案内で海水淡水化装置の見学。昨年工事中だった場所に増設した2基の装置が建屋の中におさまっている。逆浸透膜法で塩分はだいたい500ppmとのこと。1基あたり1日400tの海水を使って100tの真水を生産するとのこと。能力一杯ではないが、高塩濃度の海水を海に戻すことになるので、環境に配慮して影響が出ないよう、能力以下で稼働させているとのこと。ピーク時はそれでも水が足りず、本島からバージで水を運んで追加しているとのこと。

 続いて下水処理施設の見学。昨年とだいぶ変わって、ホテイアオイの池が半分削られて、大きなタンクが2つ工事中。客室数の増加に対し、処理が追いつかないので、処理能力を増やすように増設しているのだという。昨年より臭いがきつい気がする。最終沈殿池の水も汚い気がする。増設が完了すれば改善されるだろうから、それまでの辛抱ということなのだろう。

 下水処理場にて

 電源設備の見学。もともとは阪神淡路大震災で使われたという発電機が4基、昨年工事中だったところに2基の計6基のディーゼル発電機が稼働中。ただし交代で発電しているようだ。エアコンによる電力需要が大きく、客室数の増加がもろに電力消費に反映される。

 Lookout Pointに登り、周囲を見渡す。前山・中屋が飛行機で本島に戻るので、ここで記念撮影。山を下り、水崎さんのおごりでビールとソフトドリンクをそれぞれ1本ずついただき、解散。16:00、中屋・前山の見送りにレセプション前に集まる。「リムジン」に乗って運ばれていく2人を見送る。

 20時のミーティングまで自由時間。少し雲が多い。ゲストランドリーで洗濯をセットして、サンセットビーチで学生数人と雲の向こうで見えない夕日を見送る。暗くなった道を戻る途中、飛行場のあたりで南十字星を確認。とりあえずOKとしよう。20時のミーティングは夕食が遅くなってしまい、20時に間に合わないグループが多く出たため、連絡を個別に回し、明日のGPS測量の要領の説明、方眼紙の配布、ルートの分配を決める。女子3人組の班1つだけ見つからず探し回るが、結局ステージ前にいたことがわかり、謝りながら説明。ひとりはすでに完全に熟睡。やれやれ。

 夕映え

 夜間、さっそく飛行場の四隅の測量をしたいという学生たちにせがまれ、寺阪さんがついていく。


第10日 9/6

*マナ島

 5:30と5:45に目覚まし時計が鳴る。6時前に寺阪さんがLookout Pointに日の出を見に出ていく。6:10頃、ごそごそと出ていき丘を登る。途中で日が差し、あ、しまった、と思うが遅かった。いずれにせよ朝日は拝めたのでよしとしよう。10人余りの学生が先に登っていた。

 丘の上で朝日を受ける

 朝食はママヌザレストランで。バッフェ形式だが多少の和食があるので、久しぶりのみそ汁をありがたくいただく。大根と豆腐は本島から入手するのだろうか。

 珊瑚礁観察組は10時にボートブレ前集合なので、間に合うように出るが、昨年の場所にボートブレがなく、探し回る。結局、桟橋に近いところに移設したらしく、そこで学生たちを発見。遅刻する学生が多くやきもきする。アクアトレックの方が説明をしてくださる。昨日いただいた、特徴的な魚の写真が載ったシートを配る。足ヒレ、シュノーケル、ライフジャケットを借り、浅瀬で多少の練習をした。出発前に時間があるようなので、勝木先生がちょうど波間に浮いていたマングローブの種を拾って、全員を集めて解説を始めたところ、出港しますとのアナウンスで、がっくりされる。23人が出発。勝木先生と僕、学生2人が残る。

 残留組は見送りのあと、島内の植物と地質や漂着物の観察へ出かける。サウスビーチからノースビーチに移動する。途中で植物の説明。また、高い木の梢にオオコウモリがぶら下がって、ごそごそ動いているのを観察する。様々な帰化植物がある。植物によって、島へ種が運ばれるプロセスの違いなどを勝木先生が解説。氷期の海面低下の話を求められ、僕が海底地形の話を含め少し補足。マナ島の水路が氷期に陸化したときの谷の痕跡ではないか、ということも話す。

 ノースビーチでは、漂着軽石の観察、野生化した綿、岩場の遺跡の観察など。岩場を抜けて、ビーチロックの観察、海草あるいは海藻の観察。褐藻、紅藻、緑藻の色素(クロロフィル)の違いと生息深度の関係、オゾン層と絡めた植物の進化との関係を勝木先生がされる。

 昨年は飛行場まで歩いたが、今年はここで引き返し、サウスビーチに向かう。途中でオオコウモリが大好きな植物の実を観察。マナ島の成り立ちと岩場の関係を説明。点在する岩場の間に珊瑚礁の砂が掃き寄せられ、たまってマナ島の平地をつくっているという説明。岩場の部分はおそらく第三紀の安山岩からデイサイトの地層。固い地層が浸食に対して残るので、島の分布は地層の連続する方向(走向)と関係があるだろうという話。

 サウスビーチのボートブレの前で珊瑚礁観察組の帰りを待つ。待つ間にギターを持ったフィジアンのおじさんに、先週の大雨で土砂崩れでバスが流され犠牲者が出た話などを聞く。12:30に船が戻ってくる。今年は名前の入った記念の認定証をひとりひとりいただく。さらに今日が誕生日の学生さんには、アクアトレックのスルがプレゼントされる。

 13時の約束に数分遅れて、サウスビーチレストランに行き、水崎さんと我々スタッフで会食。今年初めに放送された番組の裏話などを伺う。昼食は水崎さんのおごりで、恐縮する。僕は体調不良でほとんど食べなかった。

 14時過ぎに水崎さんと別れ、戻る。体調がどうもよくないので、ブレで休息。勝木先生と佐藤先生は干潮時に海岸を回れるという島の東側の探索に出発。寺阪さんはサウスビーチに出て測量中の学生たちに出会い、そのまま測定につきあう。GPS測量実習の課題は、学生たちはずいぶん真剣にやってくれているようだ。

 サンセットビーチの日没を見に行くのも、寺阪さんに寝ているように厳命されてパス。17:50ごろ学生たちがぞろぞろと出ていくのを見送る。きれいな夕日だったそうだ。星空観察をしたい学生は19時に萩谷のところへ、と連絡しておいたのだが、夕食などで忙しいようで誰も来ない。無線で連絡しても応答がないので、19:10過ぎに夕食にママヌザレストランに行く。途中で夜空に南十字星を確認し、夕食後に晴れていたら学生に説明しようと思っていたが、結局曇ってしまった。どうもついていない。夕食のスパゲティの量が多すぎ、麺だけは完食するが山のような挽肉を残す。もったいない。2日間、夕食の大皿をポテトも残さずきれいに食べきった小柄な女子学生がいてみんなに感心される。

 21時にミーティング。明日の予定、集合時刻、レポートのこと、今後の日程など説明。だいたい終わったところであらかじめ打ち合わせてあったとおり、ホテルスタッフがケーキを持って「ハッピーバースデイ」を歌いながら入場。今日が誕生日と明日が誕生日の2人の学生さんを祝う。みんなのよせ書きのバースデイカードを星野さんが手渡す。2人のスピーチ。そしてケーキを25分割して分配。

 残念ながら調子が悪い僕は途中で退散。腹痛。熱も少しある。寝る。引率者として申し訳ないのだが。後半に備えてできるだけ休む。


第11日 9/7

 夜明け前、悪寒で苦しむ。トイレ往復数回。こんな時に限ってシャワーのお湯が出ず、がっくり。ところが朝になって寺阪さんがコックをひねるとお湯が出る。どうなっているんだろう。出発直前まで余った毛布を掛けてもらい、ぐったりと寝ている。たまっているメールの返事が出せない。学生がパソコンを使いに来る。昨夜からネットにつながるのは快調になっているのだが。

 朝食はパス。9時前に荷物をまとめ、表に出す。精算は寺阪さんに頼む。9:40レセプション前に集合。10時前に桟橋に移動。10:25到着のはずの船が少し遅れる。マナ島が最後だというので記念写真。桟橋の上から見える魚に学生が喜ぶ。

*ナンディ移動

 デナラウ港に予定より遅れて12:20到着。荷物も出てくるのが遅く、13:05レストラン中村着。本日到着の岩松君と、金瀬さん、ツマさんが出迎えてくれる。13:15にスバ行きの特急バスが通るので、急いで3人に食事をさせる。中村さんの料理はフィジーとは思えない。フィジーの食材でここまでできるとは。ありがたくいただく。

 17:00バレーコート脇の草地に全員集合。これまでのまとめをプレゼンテーションさせる。1人2分。だんだん暗くなる。

 バスタブがある佐藤先生と勝木先生の部屋で、風呂を借り、ゆっくり湯に浸かる。節々の痛みや腹の張りがかなり楽になる。


第12日 9/8

*ナンディ

 3時頃目をさまし、遅れている記録をつける。3:30頃最初の停電。ナンディではよくあることで、ノートパソコンのバッテリーで作業を続行。数分で復活するが、4:30頃もう一度停電。学生たちは気づいているだろうか。

 自由行動の日だが、学生たちの動きが遅い。やはりマナ島と移動で疲れたのか。10時頃に最初の学生たちが街に向かう。あまり早く行ってもナンディでは見るところがたくさんあるわけでもない。12:30頃、教員グループも移動開始。勝木先生と佐藤先生はタクシーで植物園に。寺阪さんと岩松君は僕がケネディに行くので、一緒にその近所のマクドナルドまでタクシーで一緒に行くことにする。たまたま停まっていたタクシーを使うが、ケネディまで6ドルという。相場は5ドルと聞いたのだが、ライトバンのタクシーなので、割高になるのは知っているので、それでよしとする。3人でマクドナルドの昼食。入り口でお世話になった石川さんに会い、びっくりして挨拶。チーズバーガーを頼むが、なるほど味は共通。ということは材料は輸入ということか。こういうのがはやるというのもなんだかなあ。

 13:20、3人でウイングの事務所に。メール関係の処理。寺阪さんの処理も進める。今晩と残りの日程の打ちあわせを金瀬さんと。15時すぎに2人は先にナンディタウンへ。僕は残ってさらに7通ほどメールを出し、お土産のお茶の毒味。

 17:05、金瀬さんと事務所を出て、僕は徒歩でナンディタウンへ向かう。それにしても道路沿いを歩くと排気ガスで頭が痛くなる。帰宅時間ということもあってか、交通量が多い。横断には気をつかう。デナラウ方面からの交差点では、いまにも分解しそうな車のタクシー運転手から声をかけられるが、ノーサンキューでパス。橋を越え、徒歩約25分でナンディタウンの中心部に。学生数人と出くわす。街で経験したことなどを聞く。特に問題はなかったようだ。安心。Jack'sでトイレを借りようとした女子学生2人が、閉店に気づいてがっくり。別のところへ借りに行く。

 夕暮れのNadi River

 17:50センタイへ。上がってみるともう半分ほどのメンバーがそろっている。

 18:05全員そろう。前回の反省に基づき最初の1杯はビールかジュースで統一する。18:25ようやくそろい、佐藤先生の音頭で乾杯。ウイングから金瀬さん、マノアさん、イノケさん夫妻、アピサイさん、カタリーナさんの6人。アピサイさんは19時過ぎに到着。奥さんも来るはずだったが途中に用事があるということで来ず。途中、ウイングスタッフの紹介。

 学生代表にスピーチを英語でやらせる。井田君と仁井田さん。アシスタントは神足君に。僕と勝木先生も英語で。ウイングからマノアさんに英語でスピーチをいただく。記念にスルを贈呈。帰りに階段で記念撮影。うまく撮れたかどうか。バスでトカトカに移動。


第13日 9/9

*帰国

 6:50起床。しまった。朝日をみそこなう。しかしあとで聞くと、結局朝日を見たのは早く寝て早く起きた仁井田さんだけだったようだ。学生はみんなフィジー最後の夜を夜明け近くまで起きて話して過ごしたらしい。

 8:30レセプション集合。しかし2班遅れる。どういうわけか男子学生の2部屋が遅い。時間的には多少余裕があったのだが。無線機と充電池・充電器、電源アダプタの回収。

 全員そろったのを確認し、荷物はホテルのバンに載せ、学生たちは徒歩で空港へ。空港にほとんど隣接しているので、この点は問題ない。先頭を寺阪さん、最後尾は佐藤先生、僕と勝木先生がバンに乗り込み荷物輸送。途中で徒歩組を追い越す。

 空港のチェックインカウンター前でバンから荷物を降ろす。インド系の運転手がどうもチップを要求しているらしいが、もともとホテルのサービスなので、厳しい顔をして無視する。どうも金、金だなあ。以前のトカトカはこんなホテルではなくて、もっと雰囲気が良かったのだが。客が増えてこうなったのか。それとも経営者の方針なのか。

 空港ではUTCの谷さんが出迎え、チェックイン等の手配をしてくださる。帰国プロセスでの入管やセキュリティの注意など。テロがあっただけに厳しくなっているらしい。このあと学生が一人、機内持ち込み荷物の重量オーバー(7kgまでのところを10kg)で門前払いを食らった。荷物を分割して大きい方を預けて事なきを得たが。

 記念撮影の好きな学生さんたちで、僕も何枚か巻き込まれる。ほんとうは自分や仲間以外のものをたくさん記録しておいてほしいのだが。まあいいか。実習の全期間を通じて植物妖怪やら岩石魔の講義ばかりたたきこまれてきたわけだから。

 いつもと異なり、出国審査のゲートに少しずつ学生が入っていく。外側の空港レストランを利用する学生が多いせいもある。別れの挨拶をする学生たちが、ちょっぴりたくましくなっているのがうれしい。この十数日は彼らの何かを変えたのだろうか。来年またこの中の何人かの顔がここにあるのだろうか。僕はここにいるのだろうか。

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H.Hagiya 2004.8.28-