フィジー自然体験実習・2007現地報告

 現地から実習の経過を伝えます。

 →2007準備関係データ


8/30(木)成田出国

前夜から徹夜作業で大学の仕事を処理。10:30頃やっと終わり、念のためデータを印刷して、荷造り開始。フィジーに行くのはこれで23回目なので、荷造りもいつもの手順で用意しておいた着替えや機材を順番に詰めて、12時前に終了。実習のため、自分の分ではなく、学生たちの分の機材が必要で、手持ちのプラグや分岐がないか探して時間を食う。12:15大学へ。佐藤先生に会う。車で来てくださっているので、荷物を積み込み。にい原先生にどうしても間に合わない仕事の後始末を頼み、研究室のドアに残してあった卒業生からの村への手紙を受け取り、総務課で僕あての通販電子機器の受け取り、人事に挨拶。急いでデジタルビデオカメラを開封しセットアップ。電子ノートも開封。13時過ぎ、大学を出発。途中、台所に生ものを出しっぱなしだったことを思い出し、自宅前に寄ってもらい、処分してから佐藤車に乗車。環八から首都高湾岸、東関東道で成田へ。15時過ぎに酒々井SA。時間調整をかねて休憩し、15:40成田空港着。


16時前から学生が集まり始める。寺阪さんより16:30ちょうどくらいの到着と連絡。学生1名より電車に乗り遅れ30分遅刻との連絡がPHSに入る。僕は郵送する資料があるので構内の郵便局に。16:30ほぼ全員集合。実習のしおり配布をT君に頼み、無線機及び充電器類の配布を別のT君に頼む。Iさんには食材費・実習費の5000円の徴収を頼む。買い物やら何やらで出入りがあったが、とにかく寺阪さんから16:40に航空券を配布してもらう。全員で遠いBカウンターまで移動し、チェックイン。

エアパシフィックのカウンターは行列ができていて、けっこう混んでいる。共同の機材を割り振るため、荷物の少なそうな学生をグループでチェックインさせて荷物を混ぜてもらう。そうしているうちに遅刻の某君到着。うまい具合に間に合った。一応、まとまって座席を押さえてもらったので特に問題はなさそうだ。僕だけある事情で離される。18:20に99番ゲート搭乗開始、出発予定が10分繰り上げの18:50となっている。電気店で不足分のコネクタの買い出しを頼む。僕はスーザン先生へのお土産の煎餅調達。ソフィーには麦茶パックを買ってある。カーサイ先生には羊羹セット。イノケさんには奥さんにと母から扇子とハンカチを預かっているので、とりあえずそれでいいか。18:00出国審査通過。ゲートへ。18:25搭乗開始。滑走路の混雑で待たされ、その間に徹夜の疲れで意識が飛ぶ。結局離陸は19:50。この遅れがあとまで響くことになる。日本の夜景も見納め。薄い雲を通過。


成田東方の夜景。日本の灯りの見納め。

8/31(金)ナンディ→スバ→コーラルコースト

東の空に横倒しのオリオン座。日本時間午前2時、現地時間午前5時に灯りがつき、起こされる。朝食。5:50、東の空が紅く染まり始める。「明けの明星」金星がいるようだ。雲海の上に光が拡がる。6:23ご来光。7:10ビチレブ島北西側で雲海が切れて、下界が見える。


雲海の下のビチレブ島北西部

7:15ビチレブ島西部上空で旋回、乾季特有の枯れた野山が目立つ。山焼きの煙はあまりない。


乾季のビチレブ島西部。

7:20着陸、7:25僕はみんなより先に機外へ。入国審査、税関を先に抜ける。通常、6:45頃着陸なので、30分は遅れている。イノケさんが待っているので早く出ないといけない。特に問題なく検疫も抜けて、7:40頃、待合室へ。ATSパシフィックの萩原さんたちの出迎えを受ける。イノケさんと挨拶。急いでANZのCDでFJ$2000をおろす。萩原さんと打ち合わせ、バウチャーを預かる間、イノケさんは空港のカフェでお茶を飲んで待つ。レンタカーの手配でイノケさんと待合室横のバジェットへ。FJ$1846の支払い。このうちFJ$1000は保証金。大町先生が早めに出てきたので、イノケさんの免許の他に大町先生の免許で登録をすませる。イノケさんはこの日(金曜)大臣の前でプレゼンをしなくてはいけないそうで、緊張し、かつ急いでいる様子。8:00に別れる。8:05頃、ばらばらと学生たちが出てくる。荷物をまとめて置かせ、両替などに行かせる。8:45ようやくバスに乗車。スバに向けて出発。9:00バイパス経由でナンディ通過。

スバに向かう途中、気持ちが悪くなった学生が1名出て、小雨の中数分停車。11:25パシフィックハーバーの休憩所に到着。トイレ。銀行の預払機に行く学生も。12:30スバ市内。12:40、USPキャンパス横着。徒歩で構内に。地球科学の実験室に人がいないので、7月に続いて再び学部のオフィスに行き、Khasai先生とSohieを探してもらう。僕の顔を覚えてくれていて、またお前か、という応対をされつつ、セミナールームを確保してあるからそこにいけ、といわれる。どたばたしていると技官のAlisiに会ったので、Khasai先生とSohieに連絡を頼む。12:58、ようやくセミナールームの鍵を持ってきてくれて、教員・学生がどやどやと入室。腹が減っている気配なので、荷物を置いてソフィーの先導で学内のカフェに食いに行かせる。僕は残ってプレゼンの準備を少し手伝う。ついでにトイレを探すが、学生用は汚くて遠慮し、3階のスタッフ用トイレでようやく落ちつく。13:20ようやく学生たちが戻ってくる。急いで食べたものもいれば、ランチパックを作ってもらって持ってきた学生もいる。(なんだランチパックできるじゃないか。ソフィーはできないって言い張ったけど。)13:25、khasai先生のUSPについての講義。質疑応答で、2,3名から質問が出る。やるじゃないか今年の学生。

ついでに、フィジー周辺の海底地形やプレート配置、地質の生い立ちについて簡単に説明。13:45ソフィーが簡単に自分の研究を紹介。13:58終了。14:00から下のキャンパスでMSPのスーザン先生の案内の予定なので、ぎりぎりに切り上げる。外は雨。お前のせいで雨だ、とKhasai氏にからかわれる。


USP理工学部(Faculty of Science and Technology)セミナー室での講義風景。

雨の中を歩かせるのはかわいそうだというので、外にいるバスを構内に呼び込み、学生たちを載せて下のキャンパスに行こう、とUSPの2人が提案し、ソフィーが自分の車で呼びに行く。数分後、車で帰ってきたソフィーが、運転手が言うことを聞かないからお前が来てくれ、と僕を連れて再度外へ。運転手に僕が話すが、リスクがあるからいやだ、車を傷つけたら1週間停職なんだ、と言い張る。じゃあ門番に聞いてみようといってソフィーが門番に連れて行き、大型バスでも大丈夫だよ、という言質を取ったらしく、戻ってきた運転手は僕を乗せて構内のゲートをくぐる。すったもんだしているうちにだいぶ時間を取ってしまい、14:40ようやく下のキャンパスへ。歩いた方がよっぽど早かったのだが、まあUSPの彼らの好意だから文句も言えない。


MSP(海洋学部)の中を案内するスーザン先生。

スーザン先生について、海洋学部の建物の中を歩く。日本の援助でできた建物なので、JICAのマークや、妙に見慣れたものが出てくる。エビやティラピアなどの養殖水槽を見学。すぐそこのサンゴ礁で捕獲した、希少種の養魚を飼育している水槽を見学。他の魚に食べられない程度の大きさまで育ててから放流するのだそうだ。ここで夕食用のランチパックを仕入れるべく、僕と寺阪さんで隙を見て海沿いのカフェに飛び込むが、15時までの営業で、店じまいをしている最中、しかも食材はほとんど売り切れているという状況でがっくり。とぼとぼと見学の列に戻る。15:30、案内終了。僕はスーザン先生と打ち合わせで、ドイツ人の修士課程の男子学生が日本でドクターを取りたいというので、その相談に乗ってくれという話。15:40バスに戻り、フィジー博物館に向かう。15:50、フィジー博物館に到着。予定より1時間近く遅れている。入ってみると暗い。なんと開館時間は16時までで、職員が帰り支度をしていたらしい。10分でもいいから見せてくれと言って、強引に入り込む。少し遅れてもいいよ、と言ってくれるのがフィジー人らしいおおらかなところか。もっとも以前は16:30まで入館は大丈夫じゃなかったっけ??。

超特急で解説し、館内を見せて回る。16:20に案内は一応終了。館員のお兄さんが、2階の展示も電気をつけてくれる。不充分でも見ないよりは見た方がマシだ。不足ならまた来ればいい。土産物屋コーナーで若干うだうだして、16:30に博物館を出る。夕食のランチパックを買いに出た寺阪さんが戻らない。バスの運ちゃんはじりじり動かして出発したがる。無線で何度も呼ぶが、遠いのか応答がない。バスは路肩に停めて待つと、16:45頃、寺阪さんが公園の向こうに出現。渡辺先生、矢ヶ部先生と学生2人ほどで、雨でぬかるんだ芝生を走って、来る途中で段ボールの箱を受け取る。いろいろたいへんだったらしいが、これでランチパック希望者の夕食は確保。バスは雨の上がったスバを走り、コーラルコーストに向かう。

予定通りか、19時にクロウズネスト着。荷物を下ろし、忘れ物がないかチェック。暗い中、レセプションに向かう。マネージャーと挨拶。部屋割がなんだかうまくいかず、上段の1,2と6と、下段の7,8、11,12、14,15、16,17とに分かれてしまう。どうやら9.10の部屋に長期滞在がいるらしく、一列確保ができなかったらしい。6の部屋に割り振った2名はちょっとかわいそうだが、組み合わせを考えると仕方がない。明日の朝の朝食時間について聞かれて、前から宿泊しているグループの朝食が7:30だということなので、時間をずらしたほうが良かろうとのアドバイスで8:00にすることにする。各部屋にどやどやと荷物を運び込む。無線を各部屋1台になるように、不足分を配分。T君に配布を手伝ってもらう。

20:20、教員何人かで、クロウズネストのレストランで夕食。ここで食べるのは久しぶりだ。先月来たときにはアラカルト廃止で、全部バッフェにしたと聞いたが、来てみるとなんだかメニューがいろいろある。といっても、昔のようにFJ$9.95の定食ではなくて、ちと高いが。とりあえず無難な魚(Walu)定食にする。FJ$17。\1200のメシじゃないだろ、とツッコミを入れつつ食う。味は悪くない。スタビーが3.5$、ハッピーアワーでも3$。物価が上がっている気がする。

Walu定食 ステーキ定食 シーフード定食 夕定食メニュー シーフード定食メニュー拡大 

21:00部屋に戻る。21:40無線で明日の予定を連絡。24:30頃就寝。

9/1(土)コーラルコースト・シンガトカ

6:30起床。お湯を沸かし、お茶を飲む。朝は佐藤先生が早い。朝食はプールサイドのレストランで、フルーツ、トースト、シリアル、コーヒーまたは紅茶という簡単なものだが、今回は宿代に朝食込みなので助かる。ただし、予想通り出てくるのが遅い。これは今年も覚悟しないといけないな、と思う。

9:00に2台のワゴンが到着。イノケさんのアレンジで、31人を2台のワゴンで運び、シンガトカ砂丘(2チーム)とタブニ砦+カレブ(1チーム)に分けて見学させる。8:50に2台のワゴン到着。砂丘組の人数が多いので、先発隊の矢ヶ部先生、寺阪さんと学生8名に先に出てもらい、彼らを置いて宿に戻ってきたワゴンで後発隊の佐藤先生のグループが砂丘に向かう、という2段方式。これはイノケさんの考案で、そのおかげでワゴン1台分の運賃が節約できる。遺跡組(タブニ+カレブ)のワゴンは、イノケさんからの変更連絡(カレブミュージアム見学の追加)が届いていないようで、タブニに行ってシンガトカに運べばいいんだろ?と言う。そこでイノケさんの書き付けを渡し、60$じゃなくて100$という値段の訂正が入っているのを見せると納得し、OKだという。代わりに前の書き付けをもらう。教員4+学生6で合計10名がタブニ+カレブ組。


タブニ砦入り口。ここは19世紀初頭に海岸のコロトンゴから移り住んだトンガ系の人々の集落跡。イギリス軍と戦ったコロ戦争の遺跡でもある。

ワゴンでカバナガサウ・ロードに入り、砂利道を10分ほど走って、ナロロの村を過ぎてタブニ砦到着。10:00レセプションに行き、入場料を払い、展示物を見せる。なんだか展示がずいぶんすっきりしてしまっている。こんなに殺風景だっただろうか。受付のフィジー人のお姉さんが案内してくれるらしいので、ありがたく説明をお願いする。ここは受付の人の気分によって、案内してくれたりくれなかったりすることがある。こちらも人数が少ないときは面倒なので断る場合もあるし。受付のお姉さんはこの集落に住んでいた人々の末裔、ナロロ村の住人らしい。

遊歩道に沿って石灰岩がごろごろする斜面を斜めに登る。植物をいろいろ見ている。大町先生や堀田先生が興味のあるものを見つけると写真を撮ったり観察するので遅れ気味になり、律儀に案内のお姉さんは全員が追いつくのを待ってから説明を始める。斜面には海岸によく生える植物があって、これはコロトンゴから移住してきたときに持ってきて植えた植物が残っているのだという説明。タブニ砦はトンガ系の家屋と、フィジー系の家屋が共存しているのがマウンドから見てとれる。トンガ系は丸く、フィジー系は四角いマウンドをつくる。(?逆か)

タブニ砦の集落跡は山頂集落と呼ばれる、内戦時代の集落遺跡で、当時は平地には環濠集落、尾根には山頂集落が形成され、部族抗争のためにそれぞれ濠や柵で外敵から防御するしくみを持っていた。タブニ砦は、ちょうどシンガトカ川の蛇行するカーブに面して、石灰岩の地形的な高まりの上につくられており、戦争時は戦士がそれぞれのブレに数人ずつ詰めていて、通常の集落とはちょっと違う様相を持っていたらしい。いまでも当時の人々が食べた貝殻(主にマングローブシジミの類)が散らばっており、ガイドさんによると、敵がこれを踏むと音がするので、その目的もあって周囲に散らせていたらしい。

フィジーは19世紀以前には食人習慣でも知られているが、この遺跡にも処刑台の岩場があって、首を落とし手足を切断するように溝が入っている遺構が残っている。これは"VATU NI BOKOLA"と表記されている。「ボコられる」というのと似ていて憶えやすい。切断したあと流れる血を杯で受けて、その血を酋長以下が回し飲むということをしたらしい。飲むのを断ったり、食べるのを拒否すると、今度はそいつがボコられる、という厳しいしくみであったらしい。なかなかブッソウな話だ。


タブニ砦からシンガトカ川を望む。上流側からカヌーで漕ぎ寄せてくる敵に対する防御の集落であったという。上流側には我々がご厄介になるタワタワンジ村もあるのだが、彼らの祖先も一度はこの場所の住人と敵対し戦った相手なのだろうか。

西端のトンガ人の酋長のブレの跡、お墓を見て、レセプションに戻る。大町先生は面白い植物を見つけたらしく、しゃがみ込んで写真を撮っている。途中でノニが生えているので、写真を撮る。この地域では川沿いの斜面によく自生するノニを見かける。

11:05見学終了。敷地の端の椰子の木から椰子の実を落とそうと悪戦苦闘する学生2名。トイレを済ませ、待っていたワゴンに乗り、シンガトカ経由で11:35カレブ・カルチュラル・ミュージアムに移動。来るたびに模様替えをしている気がするが、今回は団体様ということで、ガイドがついて丁寧な扱いだ。以前は靴を脱いで歓迎のセブセブをやらされたのだが、靴を脱ぐ習慣がない白人たちのためか、今回は最初のブレの中も土足でOK、椅子まで用意している。なんだかなあ。

半裸のお兄さんが簡単にフィジーの歴史と伝統文化を説明。ラピタ文化の土器などから説明するのは同じだが、だいぶ観客になっている気がする。まあいいか。少し日本語で僕が補足解説する。武器の使い方の説明。写真などでカンニバリズムなどの説明はこれまでと同じ。19世紀後半の酋長やフィジー人女性の写真。装束などがわかる。酋長の家の復元家屋。そしてマシ(Masi)と呼ばれるコウゾの仲間の植物の樹皮を剥いで、水につけてふやかし、棒で叩いてタパクロス(Tapa)をつくる。その実演をして見せてくれる。着色は粘土(たぶん酸化鉄)や、マングローブの樹皮からつくるという染料。学生が叩かせてもらう。大きなクロスは、叩きながら継ぎ足していくらしい。ううむ、これは初めて見せてもらった。

土器の製造実演。昔ながらの単純で素朴な焼き物。素焼きの焼けた状態の壺に、樹脂をつけて焦がし、防水性をつける。

魔術師の家の復元を案内してもらう。説明があっさりしているので、僕が質問して補足させる。柱の1本1本には捕虜を2名ずつ向き合わせて柱を抱かせ、人柱として埋めたという話。魂が登っていく道筋を高い屋根と天井から下がる布で表現していることなど。

一通り見終わると、「どうだ、我々のダンスを見ていくか」という。初めての学生ばかりなので、頼む、というと、半裸のお兄さんはどこかに消えていく。施設内のGekko Restaurantで休むが、なかなか踊りが始まる気配がない。シンガトカの市場で砂丘組と買い出しのための待ち合わせで、その時刻が14:00までの予定。現時点で12:40。これでは間に合わなくなるので気が気ではない。昼飯を注文してしまうことになる。テーブルを移れ、とお兄さんやお姉さんにいわれる。何のことかよくわからなかったが、とにかくおすすめの位置に移動してみると、理由がわかった。ダンスの舞台の正面の席に座れということらしい。他の客は白人の中年女性たち3名のグループのみ。メニューを見て適当に注文。観覧料と一緒に支払いということらしい。13:08ダンスが始まる。何分かかるのか、「10分?20分?」とウェイトレスさんに聞いたら、「45分」という返事。仰天。しかし始まってしまっては途中で中座もできない。あああ。

ダンスは、現地の踊りだけでいいと思うのだが、男性3人組と女性3人組が交互に出てきて、デッキの音楽でフィジーだけでなくサモアやトンガ、キリバス、フレンチポリネシアなど各地の踊りを踊るというもの。ううむ、これでいいのか?最後の方は観客を舞台に引っ張り出して一緒に踊らせる。最初はこちらの男3名、そして女子学生4名が、腰蓑をつけて踊る。渡辺先生がけっこう様になっていて、海の男の度胸を示している。女の子は見よう見まねでもさすがにうまい。僕はデジタルビデオを回す係ということで遠慮する。


ダンサーと一緒に踊る学生。

運転手に14時までに移動といっていたので、我々が引っかかっている間に一仕事して稼いできたらしい。13:50運転手が来る。食事と入場料の精算をして、シンガトカの町へ移動。無線で砂丘組を呼び、佐藤先生と一度連絡がついたので一安心。買い出し関係は砂丘組にほとんどのメンバーがいるので、食材の購入はそちらに任せることにして、こちらは買い忘れそうな物品を買い足していくことにする。ラップとアルミホイルを買う。結果的にはこれが正解。砂丘組の買い出しで行方不明の学生を呼んでいるので、探すのを間接的に手伝う。14:30、シンガトカ発、クロウズネスト着。ワゴン2台に100$ずつを支払う。本日の仕事は完了。学生たちは最初の自炊の準備。うまくいくといいが。教員部屋には共通食材を運び込んだので、各部屋から必要な食材を取りに学生がやってくる。

18:50、教員部屋も夕食準備完了。矢ヶ部先生がフィジービターを箱で購入していて、値段は37.99$とのこと。やはり値上がりしている。夕食は佐藤先生の力作、トマト味のチキン煮込み。キュウリの塩もみ、ナスの塩もみ、青梗菜とソーセージの炒め物、ゆでたキャッサバ。

20時過ぎ、空が見えているので外に出て、PCを使って星座の説明。ステラナビゲーターを使う。21:30、何やら上のプールのあたりで騒ぎがあるようだというので見に行く。バーで酒を買ってプールサイドで飲んだのはいいが、酔っぱらってグラスを落として割った奴がいるようで、プールサイドにガラスの破片が残っていると怪我をするので、蛍光灯を持っていき、明るくして見える限りの破片を拾う。プールに入っている学生たちがいるが、飲酒後の水泳は危険なのできつめに注意する。僕の入学の前に山中湖事件があったので、どうしても神経質になる。飲酒後の水泳などはもってのほかだ、と、温厚な海の男・渡辺先生が珍しく怒気を発する。かなり酔っぱらった学生がいるようで、このあともさらにビールの瓶を落として割る者が出て、後始末に追われる。なんなんじゃこれは。

23:30、16番の部屋で缶詰めを開け、教員部屋の反省会。今年の学生は油断できないような感じだなあ。0:30散会。シャワー?。1:00就寝。

9/2(日)コーラルコースト

6:30起床。お湯を沸かしお茶。8:00朝食。9:00勝木先生がイノケ夫妻に送られて到着。レンタカーを運んでくれたわけだが、奥さんも一緒とは思わなかった。今日は午前中自由行動。クラエコパークに行くもの数名。日曜だがシンガトカの町に追加の買い出しに行くもの数名。共通食材の買い足しで、渡辺先生と大町先生(?)と金戸君(?)を先に矢ヶ部先生の運転でシンガトカの町に運ぶ。道路工事が始まって、クロウズネスト前に車を入れることができない。10:00、イノケ夫妻と矢ヶ部先生、佐藤先生と僕で、ナンディに向かって出発。佐藤先生と僕は、カタリーナさんのお宅兼ウイング事務所にデポジットしてある荷物の回収。矢ヶ部先生は空港のバジェット事務所に国際免許証を出して運転者に追加するのが目的。天気がよくドライブ日和。コロトンゴの植林したところは少し水がついている。順調にナンディに向かい、10:50空港着。矢ヶ部先生の免許をバジェットに提示して、番号を書き写し、イノケさん夫妻と別れる。我々はそのままナンディに戻り、時間調整のためマクドナルドで飲み物など買ってみる。11:30ウイング事務所に行き、カタリーナさんに入れてもらって機材の運び出し。大学関係の荷物は全部運び出して4駆トラックに積む。イノケさんが来て、明日のセブセブの手配のことなど確認する。9/9のセンタイでの夕食会にイノケ夫妻を招待。快諾を得る。12:00ナンディ市街。追加のお酒は買えなかったが、まあ仕方がない。佐藤先生が缶切り?道具を追加購入。語学学校か体験留学か、大学生くらいの日本人若者男女の集団がバスに乗り込むのに出くわす。みなトイレットペーパーをいくつか手に持ってスーパーを出てくるというのは、どういうことなのだろう。彼らは続々とチャーターしたバスに乗り込む。詳しく話を聞けば良かった。12:15ナンディ出発、クロウズネストへ戻る。13:10シンガトカ通過。13:16クロウズネスト帰着。道路工事は終わっていた。

予定よりだいぶ遅れたが、寺阪さんたちが14時再集合を連絡してくれていたので、少し余裕ができる。昨日の残りのチキントマトスープを使って佐藤先生がおじやをつくってくれる。とりあえず腹ごしらえ。13:50海岸に出る。一昨年落ちた穴を確認するが、隣の穴に落ちる。不覚。ただし今回は腹側から落ちたので大事に至らず。情けない。海岸でタマムシをみつける。同定できるだろうか。14時、各班に分かれて海岸で基礎的な実習を開始。測量はクロウズネストの庭で練習。地質は海岸の岩石の確認と、クリノメーターを使った地層の走向傾斜の測定練習。まずクリノメーターの使い方を説明し、文字盤の読み方を教える。走向がN--EとN--Wで表記できることが、なかなか納得してもらえないようだ。たぶん使っているうちに納得するだろうというので、そのまま話を進める。傾斜の測り方でまた一苦労。クリップボードが必要だな。


風が強い。


変質火山岩の観察。第三紀の火山岩の周りに現世の石灰質の砂や礫が埋めつつある場所で、不整合の概念をわかってもらえるといいのだが。

海岸に出て、変質火山岩の組織の観察。ちょっと岩石の識別としては難しいのだが、仕方がない。もとの火山岩がマグマから固結するときにできた気泡のわかる部分を探す。緑廉石の入った方解石脈などの観察。寺阪さんが標本を拾ってきてくれる。岩場で走向傾斜の実測。南東の風が強く砂が吹き付けて目が痛くなる。涼しいのはいいのだが日差しも強い。日焼け止めは必須だ。15:30終了。16:00のサンゴ礁観察のための再集合まで、とりあえず解散。植生組、化学組は海岸で頑張っている。15:52解散。再集合。

16:05再集合して海岸へ。干潮時刻よりもラグーンの水位低下は少し時間がずれるので、15:45頃に干潮なのだが、水位はまだ低下中。じゃぶじゃぶとクロウズネストの前の海に入る、風が強く波しぶきが飛び散り、白く煙っている。海塩粒子はこうやってつくられるのだろうか。南東の風は日本の北西の季節風のようなもので、かなり涼しい。

2m以上もある黒白のナマコで悲鳴が上がる。学生が踏んでしまったらしい。海洋生物は渡辺先生の守備範囲。ところどころ解説を加えながら、ゆっくりラグーンを歩いてリーフエッジに向かう。ナマコが腸を出して逃げる話など。つまみ上げて実演。片側に内蔵が偏ってびよーんとなる。ナマコにとっては悲劇だが仕方がない。腕が再生しかかっている青いヒトデなど学生が見つけて喜ぶ。ゴーグルで水中を覗くと、きれいな熱帯魚が珊瑚や海藻の間を出入りしているのが見えるようだ。


リーフエッジに向かってラグーンを歩く。南東からの風が強い。

リーフの縁には、浅瀬に海藻がびっしり生えている。外洋からの波が入り込んでくると、26度はあるのだが、ラグーンよりはだいぶ水温が低い。海藻となると勝木先生の出番。緑藻や紅藻の説明。光合成に利用する波長と、それらの波長の光を除いた補色の説明。生活場所による利用する波長の違い。海ブドウを途中で発見。今年は海草の話はしたのかな。僕は気づかなかったが。

縄文海進時の高海面期の遺物とされる、コロトンゴ石灰岩がラグーンにつきだしている。高さ1-2mくらい。浸食を受けて穴だらけになっているので、何がこの石灰岩を溶かしたのか、学生に質問するが、どうもイメージできないらしい。ガリマーレで似たような石灰岩の浸食を目にすることになるので、印象づけておく必要があると思い、どうして石灰岩が溶けるのか少ししつこく質問する。しかし、環境情報学科の学生が二酸化炭素の水への溶解の化学式がわからないというのは、学科のカリキュラムとして何かおかしいんじゃないのか?地球環境問題の基礎の基礎だろう??


17:30、夕日が傾き、潮も満ちてきたようなので、リーフエッジをあとにする。じゃぶじゃぶと海水を蹴り、サンゴを踏まないように気をつけながら岸へ向かって戻る。途中、派手に転倒した学生1名。たいした怪我もないようなのでほっとする。岩陰に隠れているガンガゼのようなウニを見つけた学生たちに呼ばれて見に行く。しっかり隠れていて引っ張り出せない。指をつっこむ無茶な学生がいて、怪我をするから止めろと注意。ガンガゼは毒があるかもしれないし。


コーラルコーストの夕日。空気が澄んでいる。

18時、海から上がる。すでに日は沈み、夕闇があたりを包む。19:30夕食。青梗菜カレー炒めとキャッサバ、海藻のレモン醤油。海ブドウ、キュウリの浅漬け。勝木先生と佐藤先生の力作。21:30、植生実習の学生が勝木先生に指示を受けに来る?。全体会計の相談でIさんとK君来る。寺阪さんの電卓を貸す。

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9/3(月)

 6:40起床。






9/4(火)




9/5(水)








9/6(木)









9/7(金)



村宿泊組が帰ってきました。











9/8(土)


マナ島で迎える朝日












9/9(日)










9/10(月)


フィジーでの最後の朝日



スコップも飛行機に載せます。


学生に大人気の堀田先生と渡辺先生


ATS Pacificの野田さん(右)と萩原さん(左)。お世話になりました。



H.Hagiya 2007.9.1-