フィジー自然体験実習・2004下見報告

 →下見関係データ



フィジーは虹の国

*成田集合・出発

第1日 3/1

 前夜から雨。3月下見の出発は昨年も天気が悪かったが。偶然、今回も日程が3/1からである。ただし昨年は土曜日。今年は月曜日。12時に大学集合だが荷物以外の仕事に手間取り、数分遅刻。岩松君はすでに来ている。あわてて環境概論の担当者会議の文書を印刷し、学生課に旅行届の書類を出し、人事にアルバイトの書類をお願いする。ずっと精神的負担だった来年度分の出張願は、できるだけ書いて持参したところ、結局出さなくていいことになる。やれやれ。

 雨は雪に変わり、本降りになる。少々心配。すでに前夜からFJ303の出発が遅れるという情報が中野さんから入っていて、朝エアパシフィック日本支社に問い合わせたところ、チェックインは同じ時間だが、出発は19:00のはずが22:30、現地到着は6:40のはずが10:00になるという。そうなると予定したタベウニ行きの国内便への乗り継ぎが8:00なので間に合わない。午後の便で行くしかない。

 坪井君が東名高速からまわって大学に車を回してくれる。成田まで荷物を積み、僕と岩松君を乗せて送ってくれる。成田に近づくと雪がうっすらつもっている。大丈夫なのか。

*成田

 成田の出発ロビーHアイランド付近で待ち合わせ。17時には全員がそろう。DVカメラが1台足りない。どうも計算を間違えて1台余計に学生部屋に置いてきたようなので、第2陣の藤井・金田組に2台持参してもらうことにする。メールで連絡。出発直前までやりとりすることになる。後から来る人々がいるというのは心強い。

 のんびりとチェックインカウンターへ。ここで予想外のトラブル発生。一人のパスポートの有効期限が3月いっぱいで切れてしまうもので、フィジーの入管規定では滞在期間+3ヶ月の有効期間がないといけないのだ。他の6人を先に通し、一人だけナンディのエアパシフィック本社に問い合わせのため手続きを保留される。みなさん、パスポートの有効期間には気をつけよう。残り6ヶ月になったら更新手続きを取ることが望ましい。

 空港職員のお姉さんが、あちこち電話して交渉してくれる。結果がわかるまで時間がかかるというので、とりあえずお姉さんに任せ、エアパシの出発遅れで手渡された1500円のお食事券(6人分)を使うことにする。空港4階のレストランへ。和食レストランで少し早めの夕食。さっそくビールをかっくらって意識が少しぼんやりしてくる。

 ゆっくり飯を食って、19時過ぎにエアパシフィックのカウンターに行くと、表示は消え、すでに誰もいない。少々不安になる。そこへ先ほどの空港職員のお姉さんがタイミング良く現れ、発券できることになったと伝える。一同感謝。一人だけのためにゲートを開け、チェックインをすませる。いろいろなことがあるものだ。

 この時点で19:30。通常ならすでに空の上なのだが、21時にD96ゲートを指示され、まだまだ時間が空く。僕と勝木さんはゆっくりビールが飲めるところを探すが、20時で閉店だったり、つまみがなかったりで、結局売店の缶ビールでごまかす。20:35にゲート前へ。グアム行きなどのゲート前は人がたくさんいるが、ナンディ行きは妙に人が少ない。ありがたい。21:20搭乗開始。33,34列に固めて座席が割り振られているが、空席が多いので動き出す前にさっと座席を移動し空いたところを確保する。おかげで僕も中央の3列並びを確保し、少しだけゆっくり寝られた。

 滑走路への移動途中、10分ほど停止。機長の案内放送によると、小さなトラブルがあって、修理のために少々停止したとのこと。暗くてよくわからないが、フラップが上下したような気がする。小さなトラブルであって欲しいものだ。

 ビールとここ数日の寝不足でもうろうとしているうちに、ややあって轟音とともに離陸。いつものフライトの始まり。機内で報告書の校正をする。


第2日 3/2

 機内の照明と放送で目が覚める。すでに外は明るい。いつもより3時間遅れているので、すっかり朝になってから日本時間6時に朝食。このくらいでちょうどいい感じだ。雲海が外に広がる。さあ、そろそろフィジーだ。機内放送がナンディ到着10:15を告げる。ヤサワ諸島の列島線が大きく見える。マナ島のほぼ真上を通過。

 空港到着。外気温30度。いきなりむっとする南国の熱気。いつもは早朝に到着するのだが、今日は飛行機の遅れで10時到着だから、気温もずいぶん上がっている。入国審査でふたたび1名ひっかかる。入国カードの渡航目的にstudyと書いたのがいけなかったらしく、スバでビサをとれ、という話になっていろいろ面倒だったらしい。くれぐれも渡航目的はHolidaysで統一すべく、徹底しなくてはいけない。ともあれそれ以外は何事もなく通関、検疫を通過。出迎えのManoaさん、Apisaiさんに半年ぶりの再会。そしてUTC's Fijiの広田さんが国内便の移動などの手配を説明し、日程を確認し、バウチャーを手渡される。

 国内線カウンターに移動、2便に分かれて移動する。飛行機が遅れた関係で午前のフライトはキャンセル、先発のPI54 1230/1330が2名で、とりあえず勝木・岩松で行ってもらうことにする。後発のPC287 1300/1435は6名で、Apisaiさんを含む6名。時間があるので空港のカフェで軽い昼食と飲み物をとる。スバのJicaに電話で連絡する必要のある瀬戸さんが、Manoaさんに教わって公衆電話にチャレンジ。カードをカフェのレジで買って使うものらしい。3/4の昼食を職員の方と一緒にして、その後案内していただくことになる。増田さんは実家に到着報告を試みる。

 眠い。暑い。まず勝木・岩松組が珍しく時間通りに出発。続いて30分後に我々も出発。双発機だがいつもより大型の飛行機だ。20人のりのデハビランド機ではないかと思う。離陸、ナンディ沖に出て、SleepingGiantの山を迂回するように北東に向かう。一度乱気流でもてあそばれるが、無事にまばらな雲を抜け、Baを通過。さらにエンペラー金山を南に見ながら、ビチレブ島北部を通過し海に出る。バヌアレブのSavusavu経由のはずが、ちっともバヌアレブに近づかないまま、海上を次第に低空で飛行する。スコール雲がところどころに浮かんでいる。疲労で意識が飛ぶ。虹を見た人もいたらしい。妙に高度のそろった尾根の続く大きな島と平行に飛行機は飛んでいる。どうやらこれがタベウニ島らしい。やがて北端の飛行場に向かって旋回し、一気に着陸。意外に早かった。


国内線の双発機。


タベウニ島北端にMatei飛行場がある。意外に低い。


空港到着。他の乗客とともに。空港の周囲は椰子の林。

 ともかくも無事に着陸。タキシングで戻ってくると、その直上をかすめるように双発機が着陸。のどかな空港の割には混雑したフライトスケジュールだな、と感心するが、その機が戻ってくると、出てきたのは先発したはずの勝木・岩松の両名。後発組の一同唖然とする。どうもSavusavuに立ち寄った分、時間を食ったらしい。

*Taveuni島

 観光ガイドの地図 …消しました。

 Garden Island Resortからのバンがきていて、それに乗り込み、宿に向かって移動、、、のはずが、道の途中でバンは停止し、引き返す。どうも運転手さん、空港に忘れ物をしてきたらしい。ホテルの荷物・おそらく食材の入った段ボール3つを積み直して出発。人を忘れたわけではなかったようで、その点はほっとしたが。さすがフィジー。空港の回りは椰子畑が目立つ。途中、Somosomoの町でMHなどのスーパーマーケットを見かける。学校もある。意外に人口は大きいのかもしれない。

 Garden Island Resortに到着。チェックインをすませる。タベウニは初めてだと言っていたApisaiさんだが、いきなりホテルのロビーで旧知の友人に再会した模様で、なにやら話し込んでいる。

 このあと、部屋でほとんど寝ていた僕は記憶がない。木登り少女や魚に毒となる実の収集など、面白いことがあったらしいが。勝木氏らは近所の探検に出かけた模様。持参のプリンタで出力した写真を見ると、なかなかフレッシュな岩石が露出している。行けば良かったかな。日没だという声にもぞもぞと起き出して見に行くと、日はすでに沈んでいる。昨年のマナ島以来、サンセットに間に合った試しがない。庭の木にオオコウモリがたくさんいるようで、高い梢でほ乳類らしき甲高い声と仲間内のぎゃあぎゃあという騒ぎが聞こえる。

 わざわざタベウニ島に回った理由は、植生調査、自然観察のアドバンストコースの展開を考える上での資料にしようという目的がある。はたしてどんなプログラムが提案されるか、楽しみにしよう。

 夕食をすませ、さかさに空にかかるオリオンをみる。南側は山と雲でさえぎられ、南十字星は見えない。月が明るい割には星がよく見える。明日は島の東側に回って滝巡りとカルチャーセンター見学という勝木氏の提案で、朝8時朝食、9時出発にする。Apisaiさんがホテルのデスクに車を手配してくれたらしい。部屋に帰ってバタンキュー。

 大島君は無事に出国できただろうか。


第3日 3/3

 夜間、二度ほどスコールがあったようだ。カエルが常夜灯の下にいる。灯りに寄ってくる昆虫が目当てのようだ。イモリかヤモリか、Gekkoにしては色の薄いヤツもいて、時々特徴的な鳴き声を上げる。オオコウモリの連中が夜中に騒がしい。しかし雨が降ると急に静かになる。

 朝食後、Apisaiさんの情報で9時にローカルバスが来るというので、大急ぎで支度し、ホテル前に出る。女子学生が出てくるのが遅く、やきもきするが、そこはフィジーなのでバスも時間通りには来ない。結局間に合って1時間半のバスの旅で東海岸に。バスの車中で学生と乗り合わせた赤ちゃん連れの若い女性との会話で、21歳で2歳の子どもがいるお姉さんに、あんたら結婚しろといわれて年上の学生たちが面食らうなど、予想外のことがたくさんあった。

 バスの終点Boumaの村からTavoroの滝のvisitor centerに徒歩で200m移動。それから水を買って山を登り始める。暑い。途中、学生1名と萩谷がぽろぽろと貧血でダウン。休んでから追いかけるが、ロープ橋のところでみんな先に行かず待ってくれていて申し訳ない。


visitor centerに歩く。背の高い椰子の木の林。


河原で。Apiさんと中村さん。

 覚悟していたスコールにも遭わず、12時に下山開始、13時に出発のはずが、バスが来ない。Boumaの村で木陰でおばちゃんたちと会話する。海岸で石ころ拾い。14時にバスが動き出すが、こんどは途中でスクールバスに変身。数十人のこどもたちを載せて、車内はぎゅうぎゅう。

 勝木・岩松コンビとアピさんは3km手前のSomosomoの町でカバを購入。残りは宿でお茶をして、日付変更線(180度線)の見学に出かけたところ、3人を載せたタクシーがちょうど到着。一緒に出かける。海岸沿いの道でひとつ標識を確認した後、通りかかったフィジアンのお兄さんに尋ねたところ、上のワイエボの村のラグビー場に標識があるとのこと。お兄さんの案内で村への道を登り、見学。ウォータースライダーを勧められるが、明日は時間がなさそう。


海岸沿いのViti Levu 1916測地系による経度180度の標識を囲んで。

 夕方、宿に戻り日没前に海水浴。海に入ろうとした全員がすべってころぶ。打撲が痛い。夜はメケショー、それに隣のパーティーからカバのおまけ付き。ロボ料理のバッフェはなかなか好評。


第4日 3/4

 7:30朝食、8:30ホテル出発、Matei空港へ。9:40国内便でナウソリ空港へ。

 ・・・のはずが、我々の乗るNausori行きの飛行機が来ない。9:40の予定は11:00に。そして2人だけ先にSavusavu経由で出発。残った6人は空港でひたすら待つ。空港近くの海岸に下りて20分ほど海草の観察をしたり、岩石や砂を観察したりするが、暑いのもあって早めに引き上げる。しかし飛行機は来ない。どうも朝の便は欠航になったということだろうか。やっと13:40に3発の小型機が到着。乗り込む。飛行機に乗ってからは順調で、12人乗りの機内には我々6人だけなので、ゆったりと座れて、途中乱気流に巻き込まれることもなく、無事に15時頃Nausori空港に到着。タクシー(バン)でSuvaへ。4時間遅れでHoliday Innに到着。15:30。やれやれ。

 今回は徹底的に飛行機の乗り継ぎにたたられている気がする。瀬戸さんはJICAの事務所訪問の約束が、何度も時間を変更したあげく、明日に延期する羽目になる。市内観光の時間もとれない。あすの日程を変更し、USP見学の後、Fijian Museum見学、昼食+市内観光(JICA訪問→瀬戸さんのみ)→コーラルコースト移動14:00、17:00クロウズネスト着とする。

 着いたはいいが、大島君が行方不明で、アピさんが電話で確認し、バス停で待ってくれる。そのうちにひょっこり大島君が登場。どうやら7:30のバスが早く来すぎて、7:10以前に通過してしまったらしく、仕方がないので13時のバスでスバに向かうことになったとのこと。それも12:20に来たのだという。さすがはフィジー。しかし時間より早く来るというのは珍しい気もする。

 先に到着していた勝木先生と岩松君はチェックインをすませ、岩松君は課題のカヴァ収集にマーケットに出かける。KoroとKadavuのカヴァを購入。別件で、坪井君依頼のパソコンショップ見学は、なかなかたいへんだったらしい。

 17:00にSusan先生とHoliday Innで待ち合わせ。学生たちは18時に戻ればいいことにして、僕と勝木先生で待つ。10分経っても到着しないので、つい疲れが出て2人とも熟睡。20分過ぎに到着したSusan先生一行に起こされる。恥ずかしい。

 スーザン先生ことSusanne Pohler博士と院生のSophie、それに前にも挨拶したUSPの地質の講師の先生と、3人。我々を加えてホテルのカフェに5人で陣取り、明日のUSP訪問の件、それに9月の次の実習日程の打ち合わせをする。実習日程は学期のスケジュールを確認してからということで、明日再度打ち合わせることにする。こちらの2コースプランを説明。

 市内見学の学生さんたちが続々と帰還。星野さんと瀬戸さんが用意したプレゼントを3人に渡す。Susan先生には扇子を渡し、たいへん喜ばれる。他の2人には和風の携帯ストラップ。これも喜ばれたようだ。プレゼント選びを任せてよかった。逆にFiji Fantasticと染め抜かれたスルをプレゼントされる。絵柄もなかなか面白い。岩松君が運んだ金田さんの制作したビデオテープも渡す。大島君の文書は明日。

 Sophieと名前を覚えていないおじさんの2人はここでお別れ。夕食を一緒にということだったが、店のあてがなく、スーザン先生にお任せで、インド料理の安いお店を教えてもらい、一緒に歩いて移動。ヒンディー語と英語のメニューに全員悪戦苦闘する。ともかくもカレーっぽいものらしいというので、いろいろ頼む。ボンレスチキンやエビカレーなど。ほうれん草カレーもある。USPの状況、研究の話、グリム童話と桃太郎、浦島太郎の話。学生さんたちはスーザン先生を相手に英会話に挑戦。日本人はシャイで話したがらない学生が多いが、おたくの学生はオープンマインドでたいへんよろしい、とほめられる。スーザン先生はドイツのボン出身で、両親がそこに住んでいるとのこと。ときどき帰省するのだそうだ。ここしばらくひどく忙しいらしい。今日は7時間の講義の後、ここへ来たとのこと。明日は少し時間があるので案内は大丈夫と言ってくれるが、会議2つと授業が2コマあるとのこと。それでも少ない日なのだという。現在7つのクラスを受け持っていて、それだけでたいへん、研究する時間を10分取るのもやっと、というお話。所属が地質プロパーではなく海洋学部門だから自由にできるところがあるけれど、そうでなかったらやってらんねーという話。ううむ。どこでもたいへんなんだなあ、と、納得。

 スーザン先生と別れ、宿へ。洗濯。2度目の洗濯の途中で寝てしまい、目が覚めて確認しに行くと、一緒に洗濯した岩松君も寝てしまったのか、洗濯が終わったまま、乾燥機にかけていない。朝もう一度乾燥機だけかけねば。忙しいのと疲労で風呂に入っていなかったが、2日ぶりにシャワーを浴びてほっとする。ここ数日は原稿を書く気力がない。朝食まであと3時間しかない。寝ておこう。次にネットにつなぐのは3/7になる予定。

注)「名前を覚えていないおじさん」は、Kifle Kahsai博士(SPAS, Lecturer Earth Science)です。おじさんごめんなさい。


第5日 3/5

 …で、眠りそこねてそのまま朝を迎える。明け方の空で南十字星を確認。やはり3月は南十字星が見やすい。朝6:20に岩松君に電話し、洗濯物を乾燥機にかける。朝食をとるが、Holiday Innの朝食は高い。コンチネンタルで18ドル、フルで22ドルを取られる。学生は文句たらたらだが、それも仕方がないだろう。

 アピさんが手配してくれたタクシー3台でUSPへ。8:30ということだったが、予想通り10分近く遅れて案内してくださるSophieが登場。SPASの生物学、地理学、化学などの教室や実験室を見せてもらいながら学内を回る。図書館、カフェ、ブックストアを回り、最後に地球科学の講義室でFather Bonatoの授業が終わるのを待つ。昨日会った講師のカーサイさんもいる。終わったところで我々が2年生?の残るその教室に入れてもらい、紹介と9月の実習の説明、お誘い。

 その後、USPの一部で海沿いの場所にあるMSPに移動、Susan先生の研究室に。Susan先生に案内してもらって、MSPの中を見学する。建物そのものがJICAの援助でできたものだそうで、トイレの便器がTOTOだったり、タイルがいかにも日本のタイルだったり、妙なところで日本的なものにいろいろ出くわす。

 途中、昨年実習で一緒に行動した、AlvinとLinda, それにもう一人の女の子(ごめん名前がわからない)に出会う。待っていてくれたのだろうか。再会を喜ぶ。

 一方で大島君だけは10:30から前日カーサイさんにお願いした、機械工学科の見学に一人で出かける。後で聞くとココナツオイルで動くエンジンを見せてもらったそうで、予想外のものに出会ったと感動していた。

 MSPで最も大きいボートがHALIMEDAという船名で、Susan先生と盛り上がる。珊瑚礁の中で石灰化に重要な役割を果たす石灰藻の属名だ。MSPのあるあたりは第二次大戦中、NZ軍の水上機基地だったということで、それらしき痕跡が海岸に残る。

 11時からSusan先生は講義のため別れ、あとはSophieが案内を続けてくれる。Sophieも用事があるようで、いったん別れる。昼食はMSPのオープン・カフェでとる。安い。タクシーを捕まえ、瀬戸さんのJICAと我々のマーケット見学へ移動。14時にHoliday Innに再集合を指示して解散。14時再集合するが瀬戸さんがあと30分ほど取材にかかるという電話。とりあえずマイクロバスを出し、近くに行ってApisaiさんに迎えに行ってもらう。市内のマーケット周辺を3周して、2人をピックアップ。コーラルコーストへ向かう。途中パシフィックハーバーで休憩。食材はスバのマーケットで買いそろえたので、そのままクロウズネストへ。日没まで海。ハッピーアワーぎりぎりでプールサイドバーになだれ込み、夕食は自炊。


シェフ勝木のゴーヤ炒め。クロウズネストにて。


第6日 3/6

予定:

 雨期のガリマーレ地域の状況確認。セブセブ。道路状況確認。河川状況の撮影。植生調査。地質見学。マーケットの調査。シジミ購入。自炊食材購入。


第7日 3/7

 早朝6時に大島君がタクシーでナンディ空港へ。ひとりシドニー経由で帰国の途につく。成田到着は明日朝。我々はTokatokaに移動する。


昨年の実習場所・コロトンゴのマングローブの現状。

 移動途中、勝木先生はSigatoka大砂丘の見学に途中下車、女子学生4人はナンディタウンで買い物下車。僕と岩松君だけがTokatokaに先に行き、チェックインと荷物の手配。すでにこの日の朝到着した金田さんと藤井さんは部屋に来ているとのことで、会いに行く。両替をしていないというので、4人で空港へ徒歩移動。僕のカードでフィジードルを引き出し、両替する。食事はTokatokaに戻ってプールサイドレストランで。サンドイッチ類を頼み適当にすませる。金瀬さんと電話がうまくつながらない。16:30にTanoaの金瀬さんと連絡。明日の打ち合わせをする。

 夕食はさんざん考えた末、中村レストランへ。中村のおやじさんが喜んでくれる。シャコガイの肝など、珍味をいただく。9人で腹一杯飲んで食って195ドルの安さ。いろいろ用意するから、予約の電話を入れてくればいいのに、と残念がられる。ごめんなさい。直前までどこに行くか迷って、ウイングの動きもわからなかったので予約を入れる状況じゃなくて。

 タクシーで宿に戻り、金田さんが制作した武蔵工大学生生活紹介VTRをみんなで視聴。液晶プロジェクターで宿の壁面に映写。拍手。最後の夜を0時頃まで楽しむ。


第8日 3/8

 朝、日の出を拝むために数人が隣のバレーボールコートに。ナンディの東の山が邪魔をして、6時を過ぎてかなり経ってもなかなか日が差さない。朝の冷え込みが意外に強く、草が朝露で濡れている。


ナンディの朝日

 4人がこの日帰国。みんなで見送りに。金瀬さんも見送りに来てくださる。

 12時出発なので、見送りの後、残留組はいったん宿のTokatokaに戻って一休み。12時に金瀬さんが車で来て、我々とマイクロバスに乗車。バツコウラ(エンペラー金山)へ。ラウトカ、バ、タンブーアを経由して14時事務所到着。少々待った後、鉱山のgeologistのヘッド、A.Kumar氏の案内で移動。会議室で地質概要と採鉱状況の説明。4駆のトラックの荷台に乗り、鉱山の鉱区内の各所を見学。今回は精錬所はなしで地質見学のツアーを用意してくれたらしい。そうとは知らず、設備見学と思ってハンマーを置いてきたので後悔する。

 450−350万年前の火山活動による2段階のカルデラの形成と、その後の熱水活動(290万年前)による鉱化作用の説明。カルデラの外側の鉱脈を掘っているが、内側の探査と採鉱を始めたとのこと。推定埋蔵量は鉱石量にして1000万トンあるが、可採埋蔵量は150万トンくらいとのこと。品位は平均で6-7g/tだが、最近は良い鉱体に当たって、10-11g/tを続けているという。

 カルデラ内に噴出したマグマの火山岩の種類は玄武岩と安山岩が主なものだが、記載を見てもアルカリ岩の系列のもののようで、カリウムの含有量が多いそうだ。黒雲母や角閃石が斑晶に出ている。変な感じだ。最後の露頭は玄武岩質の溶岩流を切る安山岩質岩石の岩脈。なお、安山岩質の火山岩類のことを、モンゾナイトという言い方をするので、マグマだまりの深成岩が見えているか、それとも親子関係が証明されている深成岩体が別にあるのか。文献をよく読み直さなくては。また、ラオさんが前に言っていた高K火山岩の話は、ここのことなのだなと納得。


Vatukoulaの鉱床がある鮮新世の火山のカルデラ壁と内部の境界。左側の水平に近い地層がカルデラ内の堆積物。


カルデラ内の2段階の火山活動を示す露頭。アルカリ玄武岩の溶岩流に、アルカリ安山岩?の岩脈が貫入している。

 16:30頃、見学を終了。一路ナンディへ。18:00すぎにTokatoka着。いったん金瀬さんはタノアに戻る。夕食をご一緒しましょうということで、トカトカでちょうど来たタクシーを捕まえ、5人を無理に押し込んでタノアへ。そこで2人をおろし、金瀬さんともう1台のタクシーに分乗し、ナンディタウンの中華料理・ココナッツインへ。懐かしいレタスのニンニク炒めや中華スープ、炒飯などを腹一杯食べる。22時前に店を出ようとする。表通りで店の人がタクシーを探してくれるが、この時間はなかなかタクシーが捕まらない。先ほど来るときのタクシーが何時頃戻るのかと聞くので、21:30頃だが確実ではない、と言っておいたのが、上客だと思ったのかきっかり21:30には来て待ち続けている。店の人に言わせると、あれは高くつくタクシーでホテルまで8ドルから11ドル取られる、安いのをいま探してやるから待っておれ、という。(確かに行きはタノア経由とはいえ10ドル取られた。)けれどもなかなか見つからない。ついに店の人が待っているタクシーに話して、もう1台を連れてきてもらい、2台に分乗してホテルへ。1台はトカトカ直行、もう1台は金瀬さんをタノアに降ろしてトカトカへ。金瀬さんにはココナッツインの飲み代を持っていただいた上に片方のタクシー代を払っていただき、恐縮の限り。
 外で我々を30分待っていたのと、もう1台のタクシーを呼んできてくれたことも考え、帰りのタクシー代を値切らず10ドル払う。我々を降ろした後、タクシーの若いインド系の運転手が車寄せにたむろしている仲間に向かって、ナンディタウンを往復して20ドル稼いだぜ、と僕に聞こえる声で自慢しているので、むかつく。一般にフィジーではタクシー運転手に限らず、店員でも市場でも、インド系の人々の中にはせこい稼ぎ方、ふっかけ方をするヤツがいて、腹が立つ。根性がせこい。ぷりぷりしながら部屋に戻る。ナンディのタクシーにはメーターがついておらず、すべて運転手との交渉で値段が決まるので、あらかじめホテルのレセプションなどで行き先を告げて適正価格を聞いておかないといけない。

 


第9日 3/9

 朝、日の出頃に起床。荷物をまとめる。6:35頃、ジェット機の着陸の音を聞きながらTokatokaを出て空港へ。金瀬さん、岩松君と東大地理の茅根先生を待つ。意外に時間がかかり、なかなか出てこない。その間、UTCの広田さんに出会ったので、後発組の航空券の始末について確認する。7:15頃、茅根さん、環境研の山野さんが大きな荷物を押して姿を現す。茅根さんと会うのも久しぶりなのだが、まったく見かけに変わりがないので個体識別は容易だった。山野さんはおそらくWOLFの会合を池袋か地理学教室でやったとき以来なので、10年近く経ってお顔が記憶から欠落していた。

 すぐに国内線のナウソリ行きのチェックインカウンターへ。測定機材が重く、超過料金を取られている。この分だとずっと移動は手続きが大変そうだ。ナウソリからスバのSOPAC、明日はUSPを訪問とのこと。USPの人文地理のパトリック・ナン氏がパートナーとのこと。こちらも4日前にUSPに行って来たばかりなので、スーザン先生のことなどいろいろ話す。フィジー実習のことについていろいろ尋ねられる。これまでの経緯を説明。金瀬さんを紹介。指導学生ではない岩松君の紹介に困るが、まあずっと前からの知り合いということと、安生さんとの地質見学に3回、自宅に1回お邪魔したことがあるので、WOLFと無縁でもない、と説明。

 ナウソリ行きは8:30、こちらも8時に迎えのバスが来るので、7:45頃別れてTokatokaに戻る。荷物をまとめると女子学生3人もようやく活動している様子。朝、本当は空港に連れて行くつもりだったが、眠そうな顔で出てきたので可能なら後から追いつくように言ったのだが、やはり無理だったようだ。朝飯を食っていないと聞いて、ひとりが日本から持参のせんべいとクッキーをくれる。うーん用意の良いことだ。

 8時過ぎ出発、全部の荷物を持って移動。途中、ケネディのウイング事務所に寄り、少々時間をとる。金瀬さん、マノアさん(ツマさん)の車とCuvuへ向かう。場所が定かではないというので、ツマさんが運転して先導。今日のマイクロバスもCoral Sun Fijiのチャーターで、運転手のインド系の青年はツマさんの運転がいらいらするらしく、車間距離が一定しない。やれやれ。

 10:30頃、Cuvuの先代のHigh Chiefの弟さんだという老人の家に到着。クイーンズロードに面した入り口から坂道を上る。フィジアンリゾートと海が見える高台に家がある。珍しくツマさんが恐縮していて、家の人に取り次ぎを頼むのに時間がかかる。弟さんは上品な物腰の背の高いおじいさんで、顔立ちが少しフィジアン離れしている。我々と大きな手で握手し、自分で車を運転し、先導してCuvuの村の集会所へ移動。そこで前年からの懸案だった古いタイプのプレを見学させてもらう。どうも本式の儀式をやる気配ではなく、女子学生のスルも不要だということで、そのまま下座の入り口から我々は集会所に入る。まずは代表としてツマさんがヤンゴーナの束を村側に渡して、セブセブのせりふを言い、次に村の代表がお礼の祝詞をいい、「−−ディナ!」ポンポン、で、本来ならカヴァの応酬になるところを、ツマさんが「これで以下省略!」とフィジー語で叫んだそうで、村の人々が爆笑。僕らはなんのことかわからず、きょとんとしたまま、ともかく儀式は終了。

 さあ、質問していいよ、ということで、2人の村のおじさんが交互にフィジアン・ブレの由来や建築のポイント、いぶす行程、台風対策などを次々と話してくれる。この集会所は1986に建てたもので、2002年に屋根の葺き替えをしたそうだ。屋根は茅葺き、厚み3フィートの草で覆っている。釘を使わず、ひもで縛り、柱や梁が互いに支え合う構造になっているとのこと。柱は地上に出ているのと同じ深さを地中に埋めているという。防虫とひもの引き締めのため、最初に建物の中で数日煙を炊いていぶすのだそうだ。この集会所の建築には毎日100人以上の人を動員して18日間で作り上げたという。

 シンガトカ市場。クロウズネスト。


干潮の海岸からみたクロウズネスト全景。珊瑚礁のラグーンをじゃぶじゃぶ歩いて観察。ナマコ多し。

 本日のご飯の出来は70点。蒸らしに入るのが1,2分遅く、底に少々お焦げをつくってしまった。このコンロ、弱火にしたときに中央の小さいガス穴から炎が出るので、底の中心部分だけ焦げる結果になる。米全体としてはやや堅めだが、まあまあ良い出来。


第10日 3/10

 6:40起床、7:00朝食、8:20にイノケさんの4駆に分乗、シンガトカで昼食を購入。9:40ガリマーレのタワタワンジ着。10:50までコアチェック。急な斜面を登り、11:45昼食。南の不整合露頭まで沢を登り、尾根を越えて東側に回って下山。橋に14:30。このころから雨が降り出し、濡れながらタワタワンジまで歩く。15:00タワタワンジ発。シンガトカ・マーケット経由で16:30クロウズネスト着。本日はカレーの用意。19:00調理開始。19:50夕食。20:40終了。22時頃解散。23:40就寝。


石灰岩と下位の安山岩質火山角礫岩との境界。石灰質のマトリックス中に石灰岩と安山岩の淘汰の悪い礫がはさまる。黒く見えるのが安山岩の亜角礫。

 この日もご飯はうまくいったが、底にわずかに焦げができている。難しい。なすとジャガイモのカレー。オクラ、青梗菜炒め。


第11日 3/11

 7:09起床、7:45朝食、8:30出発、シンガトカ経由で9:40タワタワンジ着、10:10移動、10:30トンガ南の森林観察。11:30火山砕屑岩露頭観察。11:40昼食。12:10 QDH15到着、コア観察。12:40 QDH17到着。コア観察。13:50出発、14:30下山完了。タワタワンジにてセンサー撤去とコアサンプル再確認。15:00発、16:10クロウズネスト着。


ボーリングサイトQDH17に登る。背景の山の峠には住居遺跡がある。


枯れ沢を下りる。今年は雨季でも水が少ない。例年なら水がある沢なのだが。


クロウズネスト最終日、スコール後の夕焼け。

 夕食は豪華ニンニク料理3種。特筆すべきは、あのインスタントラーメンをおいしくいただく方法の開発。麺を煮て柔らかくなったところで増田姉さん大活躍の日。

 この日のご飯の出来は90点。我ながら会心の出来。焦げ付きもまったくなし。金田さんのビデオでしっかり炊く過程を記録した時に良い出来とはありがたい。


第12日 3/12

7:15起床、7:45朝食準備、8:30朝食、9:05片づけ、9:30出発、10:30ゲートウェイ着。昼食は学生4人はナンディタウンに行きセンタイで。萩谷のみホテルで昼食。降り始めた雨が強くなる。17:00学生組ホテル帰着。17:30ロビーにて金瀬さんとプロジェクターの交換、ウイング事務所デポジット物品の依頼。18:40ホテル発、19:00レストラン中村、21:30終了、タクシーを呼ぶが、ワゴン車のタクシーの運転手と料金で少々もめる。21:45着。反省会。


第13日 3/13

 8:30空港、チェックイン。UTCの手配で迅速に処理され、ほんの数分で出国ゲート前へ。金瀬さんが見送りに来てくださる。岩松君が荷物を開けさせられたくらいで、特に問題なくセキュリティーも通過。僕は久しぶりに警報を鳴らさずに通過した気がする。いつもは登山靴でひっかかるので、今回はサンダルで通過。岩松君の靴が壊れていて、歩き方が微妙に変だ。

 免税店で最後の買い物。頼まれものや義理のあるところへのお土産。岩松君はナンディタウンでの値段を知っていて、ここでもしっかり値切ったらしい。

 大韓航空が10:00発、成田行きが10:30で、いつもは待合所が混雑するのだが、意外に客が少ない。成田行きは


H.Hagiya 2004.3.1-