フィジー自然体験実習・2006直前下見・最終打ち合わせ報告

 →2006準備関係データ


7/20

 WGのメールを書きつつ、大学で試験監督2つ。3限の試験監督は配布だけ手伝って、あとをA先生に任せて退出し、自宅に戻ってあわてて準備。成田までの切符の手配。メール3通。2時間で荷造りをして14:45に自宅を飛び出す。タクシーがつかまらず、大リュックを背負ったまま坂を上り、大汗をかきながら尾山台駅前へ。偶然、教職のI先生に出くわす。大井町線でぎりぎりの2本前の電車に乗る。大井町のみどりの窓口でNEXの指定席券を受け取り、5分前で品川乗車に間に合う。16:54空港第2ビル到着。17時ちょうどに3階出発ロビーHアイランド横に到着。17:15までに全員集合。とりあえずチェックイン。本日は満席とのこと。機内で苦しい思いをするのは覚悟しなくては。ナンディからの到着便遅延で、出発が1時間遅れるとのこと。19:30にD99ゲート搭乗を指示される。おわびの食事券が渡される。ひとり1000円。たしかこの前、3時間遅れたときは1500円の食事券だったのだが。僕とS氏が海外旅行保険の手続きをしていなかったので、Hアイランド横の窓口で済ませる。

 いったん解散、それぞれお土産などの買い物と、食事券を使う店の物色。僕は念のためDVテープを5本買う。ソフィー用に麦茶パック。18時再集合し、結局中央の店で食事。女性陣はケーキとアイスコーヒー、男性陣はしっかり食べる。余った食事券をT先生がナッツ5袋に代えてくださる。急いで大学にメールを何通か出す。マナ島にも予告メールを出す。中野さんに1時間到着が遅れる旨、イノケさんに伝言を頼む。19:20出国審査。南ゲートの方が空いているのでそちらへ回る。問題なく通過。予定通り19:26にD99ゲートに着くと、すでに搭乗が始まっている。遅れた分、できるだけ早く出発したいらしい。20時頃離陸。この分なら到着は1時間も遅れずにすむかもしれない。

 機内は満席、我々もばらばらに通路側に配置される。機内食が少し向上している感じ。しかし満席なので、いつもより回りが遅い。そのうえ乱気流で2度、機内食の配食が止まる。子ども連れが多く、乗客にフィジー人も多い気がする。映画はピンクパンサーとファイアーウォール。つい全部見てしまい、眠れない。あと3時間で起こされるというのに。WGのメールを書き、記録をつける。

7/21

 日本時間午前2時、機内の照明がつく。どうせ遅れるのだからもう少し寝かせてくれてもいいと思うのだが。満席なので機内食が回ってくるのにも時間がかかる。窓の外は夜明けの雲海。機内食は相変わらず甘いものだが、あんこ入りのホットケーキらしきものが加わっている。どら焼きのようなものか。もちろん、食べられるような体調ではないので、フルーツのみで勘弁してもらう。


 朝のナンディ空港。Sleeping Giantと767-300。

 ナンディ空港到着は7:30。1時間遅れを30分余りの延着に短縮したのはお見事。しかし乗客が多い。入国審査に時間がかかる。これでも急いだのだが、荷物を受け取り、税関を通ってゲートを出ると8:00。すぐにイノケさんを見つける。ATSパシフィックの萩原さんから国内線チケットとバウチャーを受け取り、帰りの航空券を預ける。ATMでFJ$990を下ろして、メンバーの両替需要に備える。イノケさんいうには、セブセブを予定しているコロニサガナでは、なんでも今日は大臣が来るというので、10時より前に着いていないと、待たされるおそれがあるという。4駆トラックとタクシーに分乗して空港を出る。ナンディの市場で安いタクシーに乗り換え、市場でイノケさんはセブセブ用のカヴァを仕入れる。シンガトカへ。シンガトカのShellのガススタンドで、トイレ休憩。そのままSigatoka Valley Roadでコロニサガナへ。タクシーの方は窓を開けたまま飛ばしたため、埃がひどかったらしい。10:20コロニサガナ着。ただし、大臣がまだ来ていなかったので、カヴァなしの略式でセブセブを済ませ、タワタワンジ方面に向かう。ナベヤンゴ前の渡河点でシンガトカ川を渡る。川へ向かうやはり乾季で水位は下がっているようだ。

 ガラガラ沢で採水。高砂子先生がセンサーで、pH、水温、溶存酸素量、電気伝導度などを測り、サンプルびんに採水する。pHが高いのに驚く。8.8もある。蒸留水で補正しても高い。  乾季で水位が下がっていて、あまり濡れずに対岸に渡れそうだ。わき水との合流点でもう一つ採水。高砂子先生が川を渡って作業する。車に戻り、トンガ村の絶壁の下の水源に行く。そこでも測定と採水。あまりに水がきれいなので、一見すると水がないように見える。水源の前の木の名前をIviとイノケさんに教わる。食べられる実がなるらしい。ナッツがおいしいとのこと。たぶんマナ島でオオコウモリがぶら下がっている木と同じだろう。オオコウモリは好みが大好きで、外皮だけを食べる。人間様はタネの部分を食べるようだ。


 採水風景。

 12:20、作業を終えて来た道を戻る。コロニサガナの前に待たせておいたタクシーに、帰りは僕がS氏と乗ることにする。食事は空港で取ることにして、2台の車で一路ナンディへ。14:00ケネディ通りのウイングの新しいオフィスへ。デポジットさせてもらっている荷物を取り出し、ケーブルやDVテープ、充電器、地図などを取り出す。測量機材の存在も確認。荷物が積み上がってしまっていて探しにくいことをカタリーナさんがしきりに恐縮がるので、気にしないでくれという。引っ越しはたいへんだっただろう。  14:20空港着。時間が早すぎたので、食事。イノケさんには少々待ってもらう。15:15、ATSの萩原さんが荷物を運んでくれる。マナ島行きの飛行機は乗客は我々だけだというので、すぐにチェックイン、ゲートへ。そして8人乗りの飛行機に。初めての人たちは飛行機が小さいので不安がる。

 15:40離陸。12分の行程とのこと。南からぐるっと回って飛行場に着陸。砂利道の滑走路でまた驚かれる。僕はもう、これ普通だと思っているのだが、慣れていないと不安になるようだ。きれいに着陸し、飛行機を降りてリムジンの到着を待つ。ゆっくり到着したリムジンは、遠回りして海岸の客を何人か乗せ、空港の横を走ってからレセプションに。MEGUさんが対応してくれる。部屋は69,70,71と近くにまとめてくれている。説明が終わった時点で16:30。海のお話は16時からだったので間に合わず。僕があとで一人で挨拶に行く。夕食を19:30に設定して、とりあえずシャワーを浴びる。S氏は土埃でずいぶん汚れたらしい。窓を開けての走行はやめた方が良さそうだ。

 夕食はバッフェ形式で、ユウロピアンのメニュー。スパゲティがまともなのでS氏喜ぶ。僕はほどほどにすませて、ビールのつまみ代わりにスモークの魚などを多めに食べる。21時からのポリネシアンダンスを見学。僕は先に帰って休ませてもらう。やはり最後はスネークダンスで締めたらしい。持参したDVDの映画をS氏に見せる。そのまま寝入ってしまい、24時頃起きて映写をとめて、ちゃんと寝る。

7/22

 何度か寝直した記憶があるが、7時に目が覚め、お湯を沸かす。外に出てGPSを設定する。8時に食事にいくつもりで、無線で呼ぶと、女子部屋は9時まで寝たいというので放置して朝食へ行く。先に来ていた高砂子先生ご夫妻に合流。いつものようにみそ汁を確保。ゆっくり朝食をとる。天気はほどほどによい。9:20頃遅れた2人が来る。13時頃の昼食まで自由時間にするようにして、僕は帰って寝る。13時、昼食はサウスビーチレストランへ。14時、部屋に戻り、電話を待ちつつもう一度寝る。外線発信ができず、メールが出せない。16:30、起きだして整理。17時、ノースビーチ経由でサンセットビーチへ行くつもりで、全員を連れて遺跡へ。途中で松本さんに会って18:30夕食の約束して別れる。ところが満潮で濡れずに行けそうにない。急遽予定を変更。ルックアウトポイントに登ることにする。17:20頂上到着。夕暮れの日に照らされて美しい。


 夕陽の中を歩く一行。正面はサンセットビーチ。

 サンセットビーチに向かい、歩く。ところが太陽は雲に隠れてしまい、結局本当の日没は拝めず。サンセットビーチでしばし海を眺める。チャペルから道に戻り、いったん部屋に戻って待ち合わせのバーへ。

 夕食はロボ料理のバッフェ。田中支配人、松本マネージャー、アクアトレックのYoshiさんとご一緒させてもらう。どうも、今回は我々が行くことが伝わっていなかったようで、成田で出した前日夜のメールであわてて松本さんは来てくださったらしい。申し訳ない。また、客室からの9番経由の外線発信が壊れていることを初めて知る。てっきり回線が混んでいるのだと思っていた。

 食事のあと、4人はメケの見学。僕とS氏は支配人オフィスにお邪魔して、僕は津波の基本的事項、フィジー近海の地震の性質について、スタッフの方々を前に講義。S氏はその記録。プロジェクターを持ち込み、ホワイトボードに映写しての説明。21:40終了で、メケショーの方に移動。すでにメケは終わってダンスタイムのようだ。22:00戻ってオペレーター経由でインターネット接続を試みるが、いったん受話器で話してから、接続を確認してケーブルを抜き、PCにつなぐというのがうまくいかない。結局接続をあきらめる。みんなでサウスビーチへ。Stellanavigatorを使って星空観察をする。さそり座、ケンタウルス座、南十字の他、バイエルの星座など、いくつか確認。みなみのさんかく、つる座、オオカミ座、射手座、などなど。木星が明るい。みなみのうお座。風が強く、南から雲が移動してきて星座を隠す。天の川がきれいだ。23:00終了。部屋に戻り、休む。

7/23

 5:50起床。夜明けの朝日を見に行くため、人々を起こす。6:15出発、Lookout Pointに登る。6:30頃、太陽が顔を出す。我々以外にはカップルが1組だけ。風が強い。天気は上々。


 ノースビーチの向こうからの日の出。

 6:55部屋に戻り荷造り、8:00朝食へ。朝食後、岩場の遺跡と枕状熔岩、植物の見学。部屋に戻る途中、現地従業員に教わって、高い木の梢にいるオオコウモリを確認。チェックアウト。9:45桟橋へ移動。10:25タイガーIV乗船。


 Iviの木で休憩中のオオコウモリ。


 マナ島桟橋(Jetty)。

 船はキャスタウェイ、マロロ経由でデナラウへ。12:00デナラウ港着。ATSの萩原さんが出迎え、谷さんにも会う。サウスシークルーズの大型バスで移動、トカトカへ。チェックイン。13:35にコーラルサンフィジーの買い物バスに寄ってもらうようお願いし、部屋に移動。整理。電話線をチェックするが、外線発信はできるが、局番が異なるインターネットコネクトが不可。要するに、インターネットはホテル内のセンターでやれということらしいが、日本人には非常に不便だ。なんとかしてもらわないとこのホテルを使う気にならない。最後の手段は日本のアクセスポイントにつなぐという手があるが、時間がないので接続をあきらめる。

 13:35ATSの無料バスでナンディへ。Jack'sに横付け。せっけんなど、頼まれていた土産物類を一部買う。  帰りのバスは16:30だが、15:00には買い物が終わってしまう。昼食を取っていないので街に出るが、日曜なのでほとんど閉まっていて、しかも客引きがうるさい。近くにあったファストフードのChicken Expressに入り、注文。昼食。チキンバーガーとポテト、コーラのセットでFJ$7.45。15:45解散で、僕はJack'sに戻り、買い物組を待つ。17:00部屋に戻る。疲労でみな寝る。20:00起きだし、ホテル内のインターネットコーナーへ。メールのチェックを試みるが、日本語の表示ができず、読めない。ファイルの出力もできないし、なやむ。持参したノートパソコンにLANケーブルを借りてつなぐが、IPの設定がうまくいかない。サーバーから先がどうしてもつなぐことができない。仕方がないので、明日の行動日程をソフィーにニフティのwebメールからその場で書いて送信する。送信ボタンがどれかわからず、当てずっぽうで押す。果たして送信できたのだろうか。昨日からメールは弱り目に祟り目だ。着信メールは読むことすらできない。すべて文字化けだ。日本語のインストールを試みるが、WINDOWSのCDを要求されて止まってしまう。もちろん受付にはそれがない。1時間使って18.50ドル。安いような高いような。

 21:50、無線で連絡して食事に行く。カレーがかなりシンプルになっていて意外だった。23:00引き上げる。0:15就寝。

7/24

 3:00、S氏の目覚ましで起こされる。記録の整理、写真データの抜き出し。4:28にジェット機の轟音。LAからの成田行きになる便が到着したようだ。ほぼ定時だ。気温は冬に相当する乾季だけに寒い。風呂に入って寝直したいが、あまり時間がない。サトウキビ列車の汽笛が明け方の空に響く。湯船につかるチャンスはしばらくないので、お湯を張り、風呂につかる。しかしどんどん底から冷えてくる。5:30、もう一度寝直す。荷造りして7:35全員がチェックアウト。徒歩で空港に。月曜朝のナンディ空港はシドニー行きや大韓航空、メルボルン行き、成田行きなどの便で国際線は混み合っている。7:45空港でAIR FIJIチェックイン。寒いので少し厚着のATS谷さんが来てくださる。8:35に搭乗開始。8:45ナンディ発。メインの滑走路から離陸。いつもより南よりのルートで東に向かっているようだ。

 途中、山脈を越えたあたりで乱気流に揺すぶられるが、晴天のナウソリ空港に無事到着。コーラルサンフィジーのマイクロバスが迎えに来ている。ゾロイスバ国立公園に寄るよう頼むが、運転手はそれがどこにあるかわからなかったらしく、結局10時にUSPの前に下ろされる。まあ仕方がない。地球科学の教室に行くが、人影がないので事務室に行き、ソフィーの所在を尋ねる。下にいるはずだというのでまた下りると、ちょうどそこにソフィーが歩いてきていて、挨拶。話を聞くと、やはり昨日出したメールは届かなかったようだ。スーザン先生はドイツに帰国中で、今週木曜に戻るとのこと。カーサイ先生は11時まで授業中で、入れ替わりに11時からソフィーは実験を教えるらしい。お土産を渡す。麦茶、梅干し(T先生)など。まずは全員をブックセンターに連れて行ってもらう。新学期で学生がレジの前で行列をつくり、少々気が重い。僕は他の人々を残して、カーサイ先生に会うために教室に戻る。カーサイ先生の授業終了。カフェに連れて行かれ、9月の実習の打ち合わせ。費用の問題を話し合う。USPの学生は毎年15%ずつ増加しているそうで、負担がたいへんらしい。学部長に会わせようとしてくれるが、運悪く朝から会議で不在。かわりに、副学部長の生物地理学のリントン・ウィンダー先生に会わせられる。実習の話をする。彼は共同研究がしたいのだ、という話をする。9月に生物学者が来るので、その話を進めようといって別れる。いったんブックセンターに戻り、カーサイ先生も自室に戻る。会員証などを渡して会計を頼み、戻る。やがて本隊が箱いっぱいの本と共に登場。レジでだいぶ手間取ってひんしゅくを買ったらしい。倉田先生をカーサイ先生が引き回して、挨拶に回り、別の副学部長に挨拶をすませる。USPに留学中の日本人学生(修士)の方を紹介される。


 USPの校舎を外側から眺める。

 昼食はMSPの売店ですませることにして、てくてく歩く。本はバスに残して、海沿いのキャンパスへ。ここでJICAで来ている・・先生と出会う。ここは安くてまあまあな味の昼食。オクラライスとオレンジジュースでFJ$4。歩いて駐車場に戻り、12:55マイクロバスでフィジー博物館へ。14:20フィジー博物館発、途中でトランク車を後ろに連結し、クイーンズロードをコーラルコーストへ向かう・西日の中、コーラルコーストのくねくね道をバスはふっとばす。16:30クロウズネスト着。旧知のレセプションの受付おばさんと再会。犬のサンディーも元気で寄ってくる。お手をする。部屋に入ってから、タクシーで4人がシンガトカに買い出しに行き、夕食の用意。僕は米だけ鍋で炊き、あとはその間、メールを確認し、急ぎの返事を書いて出す。

 僕は19時からホテルのマネージャーと9月の実習について打ち合わせ。レセプションで待つが、上のレストランに来いというので、ぽくぽく歩いていく。マネージャーの顔は今回初めて見る。2年前のマネージャーとは違うので、やはり昨年の前半に変わったようだ。会議室の問題と、期間中、続き部屋を確保できるかの問題で、映画撮影の長期滞在スタッフの問題がある程度整理できて、会議室は来週頭に返事、続き部屋8つはOKとの返事。そのあと30分ほど雑談を含めて会話する。お前の両親はフィジーに来たいといわないのか、というので、来たがっているけど、昨年亡くなった祖母の介護があって動けなかった、来年来るだろう、と話をすると、そいつは悪かった。お前の両親の部屋代は思いっきりディスカウントするから、直接予約を取ってくれ、などという。フィジーのインド系の人々は、基本的には面と向かって交渉すれば、そんなに無茶は言わない人々だと思う。ただ、いちいち来て話をつけるのは面倒だが、これも外国なので仕方がない。

 打ち合わせを終えて、我々の3部屋の中で唯一キッチンのあるT先生の部屋で夕食の準備の手伝い。ジャックフルーツをむしるくらいしか手伝えなかった。マトン挽肉カレーと、お好み焼き、もんじゃ焼きなど。どういうわけかビールを仕入れてあるのはさすがだ。

 どうも全身がだるく、喉の調子も悪く、風邪気味のようなので、後片付けを他の人々に任せて自室に帰り、メールを処理して、21:30頃、いったん布団に入る。23時過ぎ、突然気持ちが悪くなって目が覚めて、洗面所に行く途中、嘔吐。後始末に追われる。以後、朝までに5回嘔吐する。そのたびに水を飲んだのだが、胃の中が完全に空っぽになるまで吐いて、なおもおかしい。苦しくてほとんど眠れぬまま朝を迎える。

7/25

 前夜の状況を知っているので、同室のS氏は僕を残して朝食の準備に行く。7:20、おかゆとミルクティーを運んでくれる。ありがたい。薬がウイングの事務所の引っ越しでどこかに行ってしまって、手持ちがないのだが、ありがたくもS氏からケロリンを2包いただく。熱があるようだが、とにかく僕が行かないと話にならないので、村に行く準備をする。メールを1通、やっと書き上げて送信。8:30、すでに待っていたイノケさんの車へ。7人乗りワゴンで荷台付きの車。どうしたのか聞くと、4駆はみんな駆り出されてしまっていて、唯一残っていたこのワゴンもオーストラリア人が借りるはずだったのだが、ずっと見ていたら来ないので、強引に借り出したとのこと。これで明日の荷物の輸送も安心で、ありがたいことだ。

 8:40頃出発、シンガトカに寄り、水や弁当を仕入れる。初めての人が多いので、ラッキーコーナーに全員を連れて行く。僕は50cのサモサ1個。それにスナック菓子を一袋。あとは1.5lの水。バックロードでタワタワンジに向かう。イノケさんに、今回は初めての人が多いので、セブセブをカバ付きできちんとやりたいので、すまんがよろしくと頼む。


 3年前に植えたマングローブの現況。けっこう根付いて成長していますよ。車窓からの流し撮りで見えにくいですが。

 途中、見晴台で小休止。10:30頃、タワタワンジ着。まず女性陣がトイレを借り、村長以下がセブセブの用意。手渡したヤンゴーナを鉄鉢と鉄棒でついて粉にする。みんなはその様子を見に行く。僕はイノケさんと集会所に残る。やがて本式のセブセブ。村人5人と我々7人。イノケさんが数合わせのためホスト側に移動する。なかなかストロングな味。ナンドローガ・ナボサ地域の方言では、ブラがザロ(CALO)なのだそうで、我々もザロ、と挨拶して杯を飲み干すことにする。結局なんだかんだで5杯。まったりと過ごす。9月の実習の件を村長の弟であるペナさんに話し、了解を取る。今年は何人来るのか、アサミはどうした、と聞かれる。アサミは仕事を得て忙しい、とイノケさんが代わりに答えてくれる。


 タワタワンジ村。

 12:00頃、ガラガラ沢にワゴンで移動。ペナさんがガイドとしてついてくる。金曜に来た場所だが、今日は少し奥まで入る。カバでふらふらなこともあり、ペナさんはずいぶんゆっくり歩いてくれる。彼は馬鹿力でピックハンマーの先端を飛ばした人だが、こういう気遣いができる人なのがすばらしい。

 途中の鍾乳洞で水を採取。T先生が測定。ちょうど鍾乳洞を見に来た日帰り観光客の一団が出てくるところで、洞窟の地主をペナさんに教えられる。「レウ」と叫ぶので、S氏がどんな意味かと尋ねたら、観光客のコーディネーターがバヌアレブ出身で、彼を呼ぶのにバヌアレブを指すこの辺の方言「レウ」を叫んだのだという。こういうことは聞いてみないとわからないので貴重だ。(ちなみに僕はシンガトカの市場で「タワタワンジ!」とおばさんに怒鳴られたことがある。)

 尾根への登り口まで来て、支流のQWALIMACAの水を採取して、時間がなくなり、元に戻る。まあ、今回は山に登らなくても仕方があるまい。カバを体験してもらう以上、効率的な作業は期待できない。15時、移動。S氏が旧コロニサガナの遺跡で、昔の墓を観察したいというので、イノケさん、ペナさん、S氏とヤブに入る。山側の斜面にこんもり盛り上げた土饅頭を岩で囲っているのが墓。タワタワンジ前で村長を下ろし、シンガトカへ。疲労で意識が飛ぶ。


 標高453mのコロイエマル(Koroiemaru)山。

 16:25、シンガトカ着。買い出しを17:10までと指示して解散。頭が回らないので、MHだけをぐるぐる歩く。お土産用の砂糖、香辛料を今日のうちに確保。夕食の用意。17:20シンガトカ発、クロウズネスト着。18:15から夕食の用意とのことだが、調子が悪いので先にシャワーを浴びさせてもらい、どろどろになったズボンを洗濯し、干して、寝る。20時少し前、夕食準備中のところに顔を出す。今日もお好み焼きの他、ソーメンチャンプルー、ソーメン、牛ステーキ、芋とにんじんの煮っ転がし、オクラ、チリツナなど。

 食後のお茶。23時30分部屋に戻る。調子が悪いので最低限の明日の準備だけすませて、0:30頃布団に潜り込む。しかし結局は2時すぎまで、寝床の中で作業。

7/26

 5:00頃起きだし、メールの受信。たまっている返事を急いで処理する。熱が残っていて頭が回らないが、そうも言っていられない。まとめて送信し、できるだけ処理する。今日の行動予定では、午後のナンディ通過の時しか再送信・再受信のチャンスがなさそうだ。

 8:15頃朝食。僕は準備と片付けを免除してもらう。急いで荷造りし、9:05待っているイノケさんのところに行き、荷物を運ぶ。車をレセプションの横に付けてもらい、ワゴン後部に積み込み。チェックアウト。9月にまたよろしくね、ということで、なじみのレセプションのお姉さんは愛想がよい。9:25出発。9:40シンガトカで、他の人を下ろし、テープとはさみを買い、僕とイノケさんだけでシンガトカの郵便局に行く。USPで買った大量の本を日本に送ろうとするが、21kgもあって、20kg以内の制限をオーバーし、いきなりその場で梱包を開けて、重い本を1冊抜き出して再梱包することになる。送料は船便でFJ$89.31。大量の切手を側面に貼ってくれる。送り先をマジックで書いて表面に貼る。10:20駐車場に戻り、下ろした人々を回収。タブニ砦に向かう。10:50頃到着。遺跡の見学。入場料1人FJ$12。案内パンフレットのコピーをもらって僕が解説。12:00駐車場に戻り、行動予定を議論。空腹の方が動きやすいということで、そのままシンガトカ大砂丘へ移動。

 12:15シンガトカの共同墓地へ。S氏が民俗学の調査。共同墓地は中国系、ヒンズー、イスラムの各宗派が一緒の墓地に場所を分けて配置してある。不思議な風景だ。12:45シンガトカ砂丘のレセプションへ。入場料1人FJ$8。学生価格のようだが、いいのだろうか。砂丘見学のショートコースを歩く。途中、土器片の集積を見る。たぶん産状はこういう状態なのだろう。


 砂丘に打ち寄せる波。ここ数日南風が強く、波が高い。


 霧雨に追われて砂丘をあとにする一行。

 14:00レセプションに戻る。川沿いのレストランで昼食。いろいろ予期しないことがあったが、とりあえずまあまあの価格でそこそこおいしいものを食べる。イノケさんに頼んで、足りないフィジードルの調達のため、僕だけ精算を先に済ませてシンガトカの街に戻り、ATMでFJ$350を引き出す。食堂に戻り、全員を乗車させて15:05ナンディ方面に出発。カレブカルチュラルミュージアムは今回時間切れで寄るのを断念。タブニと砂丘ですでに疲れているから、ちょうどいいだろう。

 16:00ナンディのウイング事務所に寄る。デポジット荷物を預け、余った食材をカタリーナさんに処分してもらうよう、お願いする。電源ケーブルが行方不明のパソコンのセットアップ。FAX回線を借りて通信。その間にケーブルがどこかから出てきてパソコンが使えるようになる。16:40発、16:55トカトカ着。イノケさんと夕食の約束をして別れる。

 17:30、ナンディの街を見学したいS氏が先に出発。僕はイノケさんに渡すデータCDをぎりぎりの時間までかかって焼く。18:40、僕とT夫妻がレセプションに集合。1部屋行方不明なので、ドアをノックしに行くが、返事がない。レセプションに戻って、鍵を置いて出たことを知り、タクシーを頼む。10分以上待っても来ないのでしびれを切らし、遅刻の電話を入れようとしたところでワゴンタクシー到着。19:20頃大黒レストラン到着。待っていた人々に謝りまくって(行方不明の2人には文句を言いつつ)中に入る。鉄板焼きのコースメニューに若干追加。おひたしにしている植物はMOCAという植物らしい。昨年の実習でタワタワンジに泊まったときに、トウモロコシの間に植えておく野菜だと聞いた気がする。

 イノケさんと彼の高校時代からの経緯について聞く。彼の履歴書は見ていなかったが、1971にBritish Institute of TechnologyのDiplomaを取得、USPのDiplomaはそのあとの1979年なのだそうだ。知らなかった。鉱山で働きながらの卒業資格取得だから、ずいぶん努力したのだろう。フィジーの現状と未来の話、昔の日本にいまのフィジーが似ているという話。でも今時の若者は古い世代を尊重しなくてねえ、という話。大黒の話から多神教の話、大和朝廷の話から権威の話、北朝鮮の話と話題は尽きない。尊敬される教員の資質は何か、という話で、学生は自分自身をrespectできなければ、だれもrespectしない、という話になる。まず自分をrespectできるようにしなければいけない、というのがイノケさんの話の主旨。尊敬されるような教員にならなくちゃあねえ、という話で笑う。(参加者は全員教員でもあるので)夕食代はT先生のおごり。申し訳ないです。ごちそうさまでした。やはり量が多すぎて、エビを3切れ残したのが残念。僕だけではなく、みんなかなり苦しい思いをして食べたらしい。エビもマヨネーズの海に浸かっていなければ、食うのに苦しまなかったと思うのだが。

 22:00タクシーを呼んでもらい、別れる。2台頼んだが、1台はワゴンで、それなら1台で良かったと頼み方が悪かったことを反省。(6人いるからタクシー頼むと言えばワゴン1台ですんだ)仕方がないので2台に分乗。トカトカに戻る。僕の乗った方は乗用車だったが、デナラウからの料金表を示して、料金は10$だと言い張る。非常にうるさい。深夜料金だと思って1$多いのは目をつぶることにする。やれやれ。ワゴンの方は良心的で9$ですんだらしい。22:20着。今日の会計精算。今日の2ヶ所の入場料の他、昨日の食事代、本の郵送料など。戻って今日の写真データの整理をすると0:30。S氏が買ってきたDVDを試写する。S氏疲労ですぐに意識を失う。これは無理だろうと試写中止。僕はまだ熱っぽく、腰が痛いので湯船につかり、2:00頃いったん寝る。

7/27

 5:10頃起床。明日、期末試験なので、今学期の授業中の課題の解答例などを打ち込んでwebサイトの更新。送らねばいけないメールを書く。記録の整理。7:20、急いで荷造り。

 7:40、タクシーでウイング事務所に向かう。7:55ウイング事務所からメールの送受信。8:25ウイング事務所からトカトカに戻る。往復FJ$16。8:35トカトカ到着、チェックアウト、8:50空港。ATSの萩原さんに荷物をお願いし、航空券を受け取る。10:50ナンディ空港発。16:30成田空港着陸。17:15頃成田空港到着ロビーで解散。19:30武蔵工大着。


H.Hagiya 2006.7.20-