MI-Tech Quarterly 原稿


私の授業

 2003年9月4日から15日、フィジー諸島共和国における自然体験実習が、学生26名、教職員他6名の総勢32名で初めて実施された。
 フィジー諸島共和国は赤道の南、南緯16度から19度の間にある大小300ほどの島からなり、英連邦の一員、公用語も英語である。四国ほどの面積に90万人の人口があり、フィジー系およびインド系住民が大半を占める。
 観光業を主産業として南国の楽園という印象が強いが、首都のあるビチレブ島は四国の半分ほどの大きさで、山が深く、道路や通信、電気などの社会基盤は未発達の地域が多い。実質10日間にわたる実習の中で、学生たちは海岸、内陸、そして離島での自然を観察し測量などの実習を行うとともに、文化や歴史、民俗、語学の学習、そして現地の人々との国際交流の経験を深めた。
 実習のメインである内陸での測量・植生・地質の3グループに分かれての調査では、フィジーに本部を置く南太平洋大学(Univ. of the South Pacific)から学生13名、教員1名が参加して、共同で野外実習を行った。夜間のミーティングも合同で英語で行い、同じ宿で自炊生活をするなかで交流を深めることができた。その他にも、伝統的なカヴァの儀式や古民家見学、マングローブ植林や天体観測、映像を使ったメディア実習、電気のない調査地の村での宿泊生活と住民との交流、離島リゾート施設の上下水道・電源・通信など基盤設備見学、珊瑚礁でのシュノーケリングなど、天候にも恵まれて多くのプログラムを予定通りこなすことができた。
 実習が終わってからも、参加学生を中心に事後学習会やカヴァの会を行ったり、電子メールや郵便での南太平洋大学や現地の村の人々との交流は続いている。

 2001年3月、ボーリングによる地質調査の立会いを依頼されて初めてフィジーに行き、ビチレブ島の内陸へ毎日通うなかで、この実習のプランは生まれた。道路や橋梁などの社会基盤が未整備で、雨季に増水すると対岸の村へは渡れず、道路も崩落が進み通行危険な箇所がいくつもあり、時には車を降りて、雨季の高温多湿の中、スコールを浴びつつ20km歩いて現場に通ったこともある。
 貨幣経済があまり浸透しておらず、基本的に自給自足で、物質的には貧しいはずの村の生活の中で、人々は誰彼なく大声で挨拶し、笑い、親切で、のんびりと心豊かな日々を送っている。日本的な価値観はそこでは通用しない。スコールの後の虹と、こどもたちの澄んだ目が印象的だった。
 翌月から武蔵工大で地学の非常勤の講義を持つことになり、工学部の学生に何を伝えたらいいのか迷っていた私は、このような経験こそが学生に必要なのではないかと思い始めた。今年の4月に教育研究センターに講師として着任する前から、工学部の皆川教授、環境情報学部の吉崎助教授と相談し、計画を組み立てた。

 このような自然体験実習は、机の上で学んだことを野外で実地に体験するという以上の意義があると考えている。目的意識が希薄なまま、ただ何となく大学に進学した学生が大半を占める現代において、学生の学びの動機づけをどこに求めるのか、それを提供するのも現代の大学のひとつの役割ではないかと考える。
 参加者の感想には、事前に学習しておきたかった、もっと深く学べるプログラムにしてほしい、というものが多かった。それはこのプログラムが多分野の体験学習に重点を置いているところから、ある程度予想されたことであり、意欲を引き出したのだとすればむしろ成功であったのだと思っている。もう一度フィジーに行きたい、この実習に来年も参加したいという学生がほとんどであったのも、要望にこたえるのは大変であるが、企画者としてはうれしいことであった。
 大学は自立への手助けをするところだとするならば、教員が用意した内容を消化することよりも、各自の発見や体験に基づく理解こそが学生にとって貴重なものだと思われる。この実習に参加したことで、それぞれの学生が自分なりの大学での学びの意味をみつけることができていれば、プログラムは成功であったのだと思っている。

 この実習は現地の日本系企業であるウイング・インベストメントの全面的な協力があって実現した。海岸保全実習はOISCA-Fijiにご協力いただき、マナ島の基盤設備見学はMana Island resortのスタッフにご協力いただいた。
 実習の植生調査は森林総研多摩森林科学園の勝木俊雄氏に指導をお願いした。測量は都市基盤工学科の佐藤安雄技士と皆川 勝教授が指導された。添乗員として東急ストリームラインの寺阪俊樹氏が同行し、地質や鉱物の指導でも協力していただいた。さらにNHK高松局・制作の矢野あかね氏がボランティアで同行し、22時間に及ぶ記録映像を撮影してくださった。このほか学内外の多くの方々の協力とご配慮でこのプログラムが実現したことに感謝を申し上げたい。(萩谷)


H.Hagiya 2003.11.27